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ユダの人々がひどく嫌悪する宗教に、多神教と偶像崇拝がある。日本人の持つ八百万の神々や、仏教の偶像は嫌悪の対象なのである。
古代のヨーロッパは多神教が普通だったし、それは中近東でもエジプトでも同じだった。 ユダたちがエジプトを出る、いわゆる出エジプトの時代にも、多神教や偶像崇拝は普遍的な存在だったのである。 その時代のファラオが誰であったのかは、未だ明確ではない。 エジプトには古くから千の神々が居て、トート・アンク・アテン(イクナトン)王の持ち込んだアトンという一神教と、せめぎあっていた。 この神は、どうやら土着の天候神と摩り替わり、アヴァリスを根城とする異邦人たちの集団に受け入れられ、エジプトの内部で力を蓄えていったようである。 イクナトンの娘アンケセンパートンは、古い王族のツタン・カー・アトンと結婚し、このころが一神教の絶頂期か、もしくはエジプトでの衰退期にあたるのだろう。 アメン神やラー神、プター神など、エジプトの千の神々が復権を果たし、異邦の唯一神を追放せよという運動が起きる。老神官アイの活躍した時代である。 この中で、ツタンカートンもツタンカーメン、つまりアメン神に名を変えているのである。アンケセンパートンもアンケセンアメンと名を変えた。 アトン信仰は衰退したようだが、実は地に潜ったのだと思う。その神はやがて名を変えて、王家の中に潜み、蘇る。 怪しいのはセテイ1世。 そしてその息子、歴代エジプト最大最高のファラオであったラムセス2世の時代に、ユダ族が生まれる未知のきっかけが起きたのだと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年10月31日 11時22分56秒
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