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カテゴリ:哲学研究室
この問題は人間に特有のものだとわかる。小生も暗闇はなるべく避けて通る。特に泥沼は大嫌いである。しかし、庭は薄暗いのである。諸概念は今や泥沼である。
日本人はイメージと出会ってから、薄暗い幽玄な世界は見なくなった。 それと同じように、アテナイの人々は、イデア論と出会ってから、暗いディアレクチークが指し示している場所を省みなくなって、鮮烈な天上のイデアのみを思い描くようになったのである。 結果的に、大都市国家アテナイは田舎の小王国マケドニアの軍門に下り滅んだ。 プラトンが描いたのは、人のこころと認識との乖離である。その暗い裂け目である。 人々はイデアの光に目を向け、プラトンの理想をのみ、追求し始めた。 哲学は勝手に解釈し直され、逆読みされてしまったのである。 それどころか、この逆読みは更にキリスト教と出会うことで、より徹底した逆転劇を生み出す。 「無知の知」の探求が哲学なのだが、暗い、無知な、しかもよじれた邪悪な認識はことごとく愚者の能知識とされ、不都合で、理り切れない知識はグノーシスなものとして退けられることとなった。「無知のナニであるかを知ること」は無視されて、未だ知らない新知識を明晰判明に探求すべきだ、となってしまったのである。 哲学ということの意味が、一部の哲学者と世の知識人との間で、全く正反対のものに変わってしまったのである。 これを示している典型が、ソクラテスの死の扱いである。 プラトンは、冤罪で獄中に殺される哲学者の死を、その理(ことわ)り切れなさを描いたのだが、これは後の世ではノモスにおける法の規範を示すとされる。それを受け入れる社会理性の立つ手本となってしまった。 180度、完璧な逆読み、なのである。理り切れなさを示す哲学が、法の淵源を示す規範へと化けている。ここには法の淵源などはない。権力者の企みで理念がノモスに化けて立つ、理不尽さがあるのみである。 この問題で小生は指導教官と正面から対立し、卒論とは逆に1点差で法学概論を棒に振ったので、特に恨みったらしく言う。小生は法の淵源を悟ろうとしない無法主義者と思われたようだ。 だが、この問題は小生にとって、妥協を許されない哲学のアルケーだった。 アカデメイアの伝統が、プラトンの見出した知識を集積し、書庫化していくデーターベースへと動いていたことは容易に推測可能である。 無知への始原(アルケー)を指し示して哲学へ誘うというソクラテスの対話は、ディアレクチークという話術技法と化し、知識への終着点(書庫=アーカイブ)へといざなう学術となり、やがてスキエンチアの理念を掲げて、科学技術へと発展していくわけである。 理り切れない無知の知へと誘うイデアは、知識の宝庫(アルケー)への入り口を前にした掲げる理想、理念(イデー)と化したのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年03月10日 07時52分22秒
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