【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

フリーページ

2012年11月17日
XML
カテゴリ:哲学研究室
 コトを事柄(ザッヘ)と理解してはならないと思う。
 コトはその内部に場所(オルト)を持つ。
 居る、居場所と、戸(玄関)を持つのである。
 対象を想定する必要もなければ、アルゴリズムとして把握し、再現構築する必要も無い言葉なのである。

日本人が、その日本語を理解していない。
 ハイデガーが、日本語の言葉は事(ザッヘ)の葉(ブラッター)か、と聞いてきた時に、いいえ、利用している漢字の方ではそう書かれますが、日本語ではオルトのオルトです、と答えるべきだったと思う。
 正しくは事、場、なのである。どちらもオルトであり、その「同義反復が目的」の「言葉」、なのである。

 但し日本語では、普通は同じ言葉を繰り返すのを嫌う。同義反復を嫌う。
 同時に、類義統一も必要だからである。だから場所を指し示すコトとバを並べて繰り返す。バイリンガルであった、だけの理由ではないと思う。 
 このコトから捌かれたモノは、ミメーシスによりそれを共有して理念化、再現が可能である。それが有用、ということである。
 しかし隠れ無き露な、モノというのは、閉鎖されたモナドや78%しか把握されない存在者の存在、あるいはサイバネチクス論者の求める、将来の神という、うそら寒い理念なのである。

 常に誤った欺瞞の想定が、時空の無い、その将来の神を支えている。
 そして無に直面しての、その想定を、その神は、支えてはくれないのである。

 実際に想定を支えてくれているように見えるのは日常の経験、である。
 時間、空間、という制約があるはずの日常の経験の方である。
 ところが、この時間空間を無視して、つまり自然というコトではなく自然というモノだと、理念常識が言わせる。
 その「常識という名の理念」が、誤った想定の彼方にある将来の神を支えているのである。

 哲学を世に出したソクラテスが最も警告していたのが、この「常識という名の理念」に囚われることの恐ろしさだった。
 コトが事柄というモノに変じ、その背後に天井のイデアとは違う、人智の空虚なイデーが居座ること。
 ソクラテスがディアレクチーク(対話)を駆使し、哲学が出来た理由は、これを防ぐことであったはずである。

 人が自分の論拠を弁証する(言い訳する)、その無知を露にして正していくこと、がソクラテスの弁論術、ディアレクチーク(弁証法)だった。
 イデーが忍び込んで、コトが単なる事柄となり、対象のモノと化したソコに、知識が生まれ、同時にコトの場が見失われてしまうのである。だからフィロソフォス(哲学者)とソフィスト(知恵者)の区別は常に明確に示され続けた。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2012年11月17日 07時39分58秒
コメント(0) | コメントを書く


PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

カレンダー

プロフィール

mugibatake

mugibatake

コメント新着

 アンチオーバーロード@ Re:日本酒を飲んでコロナ撲滅(04/28) ムギバタケ先生の「対象認識について(推…
 アンチオーバーロード@ Re:庭の形而上額 2ー4 常識の庭4(02/09)  50年前に出会ったときは近くて遠い存在…
 山科2008@ Re:こころ(02/22) お邪魔します。 哲学入門は繰り返し読んで…
 mugibatake@ Re[1]:新・ユダヤ人 3-5-5(05/10) 山科2008さんへ ありがとうございます。励…
 山科2008@ Re:新・ユダヤ人 3-5-5(05/10) > 拉致があかず (変換ミス)  …
 cozycoach@ Re:米国で(02/02) 進化について詳細です。 メインの質問は「…

日記/記事の投稿

お気に入りブログ

無題 New! マンネンコゾウさん

源氏物語〔9帖 葵 11… New! Photo USMさん

余多歩き くれどさん
一語楽天・美は乱調… cozycoachさん

カテゴリ

バックナンバー


© Rakuten Group, Inc.