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2013年03月27日
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カテゴリ:哲学研究室
 リュケイオンでは教えられていたはずの、これらの最も基本的な事柄が、理念を共有の体系に記述しようという「意図が文献知識と化してから」、おかしくなっていた。
 いわば存在者の存在という理念が一切を取り仕切り、「仲介して立てー組み」、はじめてから、おかしくなっていったのである。

 思惟にはロゴスに基づくものと、ミュトス(技芸=反ロゴス)に基づくものがある。
 さらにそれとは別に、共有の理念である弁証できないものと、共有の理念として弁証すべく立てー組まれたものと、二通りあるのである。この4者の関係は未だわからないのだが、立て―組みが関与しなければ何も見えないのは間違いない。何も無い。

 宗教的な(共有)理念さえ、弁証できない理念とは別に、仲介者あるいは媒介として見出され、人間社会に立てー組まれていった。
 ・・・である、として。
 遠い過去には単なる知識や智恵であったものが、ロゴスを根拠とする論理(技術)として、しかも時間的関係や空間的関係を備えた、いわば文化的なモノとして、築き上げられてきたのである。
 共有の文化財となっていった。

 誰に対しても、露に隠れなく示されて、同時に弁証できない共有であるはずのロゴス=言魂が、論理や技術の「根拠として、逆に」、据えられて理念化されていった。
 世界遺産に認定されるかされないかで、扱いも変わる。
 時間・空間も、その「関係」によって逆立ちさせられ、立てー組まれて機関(カノン)となり、共有の基準(クリテリア)と、いやむしろ、露骨にトピカルな巨大オチンチン、リンガと化して祀られていったのである。
 それが今日のイデー(理念)界である。合目的哲学という名の、ニヒリスムスが居座っているのである。

 聖アウグスチヌスが生きていて、機関と化して権力闘争に明け暮れるバチカンの現状を見たら、絶望感で神を呪うだろう。

 貧しい聖フランチェスコの名を受け継いだ、イエズス会出の新法王に期待したい。だが、いろいろ噂のある人のようでもある。貧しい人を精神で救う前に、肥え太りすぎているバチカンが貧者とならねばならない、と思うのだが。
 サンフランシスコなどは、金に群がった人々が作った町なのである。





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最終更新日  2013年03月27日 07時23分14秒
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