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カテゴリ:哲学研究室
それにも関らず、輝かしいギリシャ文化を受け継いでヨーロッパ文化の基礎に仕立てた智者たちは、ローマの作り上げたスキエンチア理念に切り取られてしまった。
見えない自動機械に、いつのまにか立てー組まれてしまった。 仕立てられた存在者の存在に、予定調和されてしまったのである。 自分たちの共有の足場に、奴隷化されてしまったとも言える。 哲学までも、である。哲学者たちは全員ローマに拉致されて、奴隷教師とされた。北朝鮮に拉致された若者たちのように、である。 私どもがスキエンチアの理念を利用しているのではなく、切り取られて立て-組まれているにすぎないのである。 そのことは、この事件からは後の時代の人だが、ライプニッツという哲学博士が、そのスキエンチアの支配を正当化し、この世に君臨している事が、その動かぬ証拠となる。 更にプラグマチズムや共産主義、構造主義といったニヒリスムスが、全てを覆い隠してしまった。 産業革命というのは、それ(立てー組み)が顕在化してきた時代の「歴史=弁証」が見えかけていたのであって、実際には哲学が興ったとき、すでに、それがあったのである。 メ・タル(神々の力・天候神)によって可能となった、金属武器や貨幣経済、という仲介者が力を振るい始めていたのである。 メ・タルのもとは、たぶん隕石である。地平線の彼方に赤々と輝いて落ち、人々の殺戮と津波と気象異変を引き起こす、ハルマキス、あるいはホル・エン・アケト(スフィンクス)である。 誤ったイデア論が巷にはびこり、権力者も民衆も更に智者までもが、この力に、立てー組まれていった。現実が見えなくなり、何処にも無い実現にのみ、囚われていった。 それは未だ企業活動ではなかったが、軍事技術や政治経済技術でもあった。 小市民階級のソクラテスがただ一人、たぶん、自らの身体の病を通じて、この立てー組まれるポリス的人間の引き起こす危機を察知した。 現実が見えなくなることの危険を、である。 そして言い訳を通じて、この危険を常に、見張る者たちを育てようとしたのである。産婆術者としてである。 どんな危険があるのか、待ち構えているのか、わからない。ウーシア(現有)において、骨と成った屍を晒している巨人族のようには、なってはならない。 そのためには神と悪霊をロゴスの力で捌いて明確にし、悪魔の手先となることだけは避けねばならない。 汝・・・をしてはならぬ、と言うのは悪霊=イデーであるが、扱い方次第で、この立てー組まれるポリス的人間の内部にあって、例外的な単独者に危険を教えてくれる特殊なダイモニオンなのである。 哲学の本当の任務は、ここにある。現実を論議し見張れる、同時に機関化を拒む、唯一の学問なのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年04月11日 06時48分43秒
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