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2013年04月23日
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カテゴリ:哲学研究室
 欧米人にとっては、存在者の存在である唯一の超越者のみが神である。
 だから多神教の神々、特に神統の八百万(やおよろず)の神々などは、未開の種族の原始的な信仰心がこしらえた、未知の自然における暴風などを対象化したアニミズムの偶像、と安易に考えてしまうことになる。
 これは科学技術の発達した今日の、信仰心で掴める神ではありえないと。
 
 信仰心や教義では、掴めない、神。
 目にもこころにも、決してイメージできない神。
 しかし、神だと、捌(さば)くことのできる概知の力は無数にあるのである。
 対象化認識できない、言い訳できない神々の力は、すべて、そうなのである。

 意思と表象だけで、世界が成り立っていると合目的に考えることのほうが、全然、おかしいのである。
 そこに都合よく無の思想を持ってくるのは、もっとおかしい。
 この世界には有だけでなく、無の世界が「もともと」、空間として(日本語では)ある。つまり捌ける、神々の力がある。無数にある。晴天の深夜、人工の明かりの無い場所で、空を見上げてみよ。

 唐突に出会うそれが、ガル・ディン(大いなる・輝く神々=庭)である。これを庭として、立てー組み、として取り出した理念がエ・ディン(立てー組み・輝く神々)である。時間・空間を、対象化して認識しているのではなく、単に捌き出した神々の力の(権能の)方から見ているのである。

 実は時間もまた、日本語が表現しているのは「無の場所」なのである。
 但し場所として、あらかじめアルのが日本語の空間や時間である。ここでもやはり、空間と時間の不整合、というか、一致しがたい乖離はあるのだが。
 無の上に立つ欧米の言語認識とは逆立ちしているが、不整合があるのは同じである。だから、どちらが正しいか、などといったものではないのである。






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最終更新日  2013年04月23日 06時56分09秒
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