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カテゴリ:政治経済
原発が活断層上に立地しているか否か、の論議に対し、読売は今日の社説で、「科学技術的な論議に徹するべきだ」と主張している。
この意見を「危険かつ恣意誘導的な考え方だ」として告発したい。 科学技術は必ず正しい、という思い込みがその意見の根底にあるように思う。 それなら、福島の事故などは起こらなかったという意見になるのである。 単に自然災害だと言う意見は、もっとおかしなことになる。 自然という対象を科学的にしっかり見据えて、科学的にのみ論議すればコトは片付くと思っている人が多いようだが、それなら事故など起こりようがないのである。 科学的にのみ論議すれば、確かに読売の目的どおり、片付くだろう。 科学技術は合目的対象化技術である。原発を稼動させたいのだから、その目的に添って科学的に論議し、将来の稼動は達成できる。 そして次の地震で、また不毛の死の土地が大きく増えるのである。 科学技術は合目的対象化技術である。大勢の人々の暮らしに直接かかわることなのに、この合目的対象化の論議に徹しての論議など、できるはずはないのである。 読売の意見自体が、極めて危険な扇動的意見だと述べておきたい。 科学技術の論議が、合目的論議であることを見失わせる意図がある、からである。 私どもは目標を明確に見据えて行動できる状態ではない。 電力需要逼迫と原発の必要性を絡める、などというやりかたは最低、なのである。倫理観のまるでない、犯罪者の思考だと思う。 科学技術という技術があるのなら、その目的は何に使われる技術なのか、そこで何が本当に論議されるべきなのかをまず、論議すべきなのである。 活断層なのか否かというテーマを持ち出して、それに安全の根拠を置こうとする意見自体がまず。批判されるべきである。 読売がこれを主張したい理由と、科学技術への信仰が、まず批判されるべきである。 事故は起こってしまった。そして対策はカネをけちって行われており、これから本当の破局へと向かう。 その事実の方が、先に論議され、裁かれるるべきである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年08月24日 08時08分44秒
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