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カネ不足の上に、システムのインターフェイスの進歩に取り残されて、文字ばかりになったオイラの拙い日記を読んでくれている人を、アクセス数だけから推定してみた。
クソ難しい哲学論文を熱心に読んでくれている人が約5名。失敗続きの園芸報告を読んでくれている人が約10名。時事や政治経済なら興味のある人が約10名。あとは小生を知っているごく少数のたまにアクセスしてくれる人たちと、その場限りの気まぐれな訪問者だろう。 特に早朝から午前中のアクセスもそこそこあるので、老人がほとんどか。 トピカルな話題で、人目を引く表題や書き出しにしたら、アクセスは急騰する。 しかし翌日は元に戻るので、文字ばかりの中身は読まずに、クリックだけで去っているのである。 短いつぶやきと、写真や映像の時代である。 文字もまた、文学、でなければ人は興味を持たない。 その点、オイラの文章は文学とは逆立ちしているので、文学好きには拒絶反応を引き起こすようだ。改めるつもりはない。 オイラの文章は、一種の、自分勝手な数学構築に似たものである。 人のこころの琴線に響いて、いっしょにオルガンを謳う気にはなれないと思う。 知識も常識も、どこにもない。ミュトス(技芸)の指示には従わないから。 インターフェイスを操る気もない。 書き連ねる膨大な文字で常識や知識、自分の弁証すら取り去って、文字の出てくる言霊を、どこにも明確にないロゴスを、たしかめたいだけである。読者への弁証(いいわけ)によって、である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年10月26日 19時04分16秒
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