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カテゴリ:哲学研究室
重さと違う、固有の質量という発想を、物理学は「リンゴが落ちる」というノードから見出した。
ここにあるのは、実は既成の形而上学的世界観の破綻なのだが、その破綻を繕うモノとしてニュートン物理学が出来上がった。 ニュートンは実際には、この実験(重いものも軽いものも同時に落ちる)によって見出されたノード(結節点)における破綻の原因を見据え、哲学(無知の知)を見出したにすぎないのである。 だが、形而上学にも手を出して数学を導入し、計量化したことが物理学にも発展し、その基礎となった。実際には、重力は計れない。その計れないモノを慣性質量として計量化した。 情報工学の罠に、自ら飛び込んだ、のである。 ニュートンがここで空間(という直感の形式)の基準として想定したものは、アリストテレスの基体(ヒュポケイメノン)でもエイドス(形容)あるいはヒュレー(質料)でもない。ヒュレーは基本的に「材料」のこと。物理力を説明する材料であって、物質定数ではない!。 ニュートンが想定したのは、質量(マス)という、全く新しい計れるはずのモノ(素材)である。 リンゴが落ちるという露なこと(ヒュシス)を観察して、そこに重量差は関係ないという、既成のアリステトレス風形而上学の破綻を見出し、自らその物質と重力に関する不可解さの情報を、工学的に説明可能なように再構築したのである。言い訳(弁証)した。 但し後世の人は、彼の哲学的業績を無視し、むしろ踏み台にして、それをニュートン物理学へと発展させていったわけである。 今日、質量はアインシュタインによって、またまた常識が修正されたが、基本は同じである。マスの等価概念は変わっていない。(加速度と重力は等価)対象的物質の基体に属するもの、(ヒュポケイメノン)あるいはその物質を素材として支えているもの、(ヒュレー)二つの意味合いを与えられて概念化されている。 ノードとはみなされず、表に公表されたノートだと、誤ってみなされているわけである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年12月13日 07時28分50秒
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