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カテゴリ:哲学研究室
ここに実は、とんでもない危機があったのだが、「一なる現実」、にはこだわってはならないし、したがって合目的「対象物としての自然」、などを据えてはならない、のである。
「論議、アルケーの導きの方」、が据えるべきものであり、破壊対象である。 アリストテレスは、アリステトレス主義には落ち込んでいない。 しかし後世の人々が哲学を誤解して知識に変え、自分で勝手に落ち込んだ。 カントという人は、若いころから高名な啓蒙的自然科学者だったのだが、もう老境に至って、世間ともども自分が落ち込んでいた、そのことに、気がついた。 それで、180度思惟の大転回(ケーレという)をして、転向した。 そこで自分は、はじめて無知を知る哲学者となったんだと、明確に述べている。もう哲学博士の地位を得て久しかったのに。 この明快な論述を、全く聞こうとしない人が多すぎ。 こだわるべきは命題ではなく、「源泉の導き」、の方なのである。 カントはこれを純粋理性という命題を導く「あんよ紐」、という言い方で論じている。 これに、つまり「あんよ紐」にこだわって、純粋理性を批判して、ぶっ壊したのが、あの純粋理性批判という、人類の得た最高の哲学書である。 純粋理性を見出して批判して、哲学した。つまり論議の糸口を頼りに、構築されている純粋理性をぶっ壊して、無知を理解した。 しかし、純粋理性という命題に拘っていたのではないのである。 カントは、「あんよひも」という言い方をし、アリストテレスはエイドス・エネルゲイア(などに分裂したもの)をアルケーだと、ぶっ壊しの論議の糸口だと述べた。 そのアリストテレスの師、プラトンが見出した、この哲学のアルケーが、「イデア」だったのである。 やっとイデアが出てきた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014年04月07日 06時21分46秒
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