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カテゴリ:政治経済
ヘブロンの地で、寄留した土地のハッチ人の王から種族の合体を申し出られるが、それを断る。これは旧約に出ている。
種族の合体で土地をタダでもらうのではなく、あえて金で購入して、死んだ妻のサラをそこに葬る。そして、飢饉のさなか、食い詰めた状態でエジプトへと避難するのである。 寛大なファラオが豊富な食い物を溜め込んでおり、彼らアピルの民を受け入れてくれることを知っていたからである。 言語や人種、風習まですっかり違っていても、彼らハッチとハム族は、お互いに同族であることがわかったに違いない。 しかしアブ・ラ・ハムはハッチ(ヘテ)人の申し出を断った。 ハッチたちも食い詰めていて、シリアから北上して活路を見出そうとしていた。ハッチの中央は、シュッピルリウマシュの時代だと思う。フルリ人の帝国が解体を始めていた時代だった。 同行すれば勢力は大きくなり、生き延びる率も高くなるが、下手すると共倒れになると思ったのだろう。ハッチたちの大王シュッピルリウマシュの力量も、アブラハムは全く知らなかった。だからエジプトの方に賭けた。 そのずっと後の時代にも、イスラエル帝国の武人として、ハッチ人(ヘテ人)武将の姿が出てくる。 ウリヤという名で、イスラエルの大王に妻を寝取られて、さらに危険な最前線に送られてハメ殺される、悲劇の武将である。帝国を失った彼らは、こんな後の時代にも、イスラエルにもぐりこんで兵隊をやっているのである。 彼らハッチは、イスラエル12部族の一つとして描かれることはない。しかし彼等はシュメール系の同族、なのである。 イスラエル12部族は「神の秘密を抱く」王族のこと。庶民や兵士のことではない。 一神教のユダヤ人から逆算でイスラエルを考えるから、おかしくなるのである。 後の時代に二支族が分かれてユダ国を作り、そこで異様な一神教が成立する。 これはエジプトからの影響が大きかっただろう。アマルナのイクナトン王によるアテン信仰である。 セト神に、同様の絶対神的な側面があったと指摘する人もいる。 しかしイスラエルは、もともとは多神教の、しかもシュメール系なのである。 バビロニアやアッシリアとは異なり、強力な天候神との直接契約や間接支配で、民を統べる国ではないのである。 「神々相互の誓約(うけい)が、神々の役割」、と考える国民なのである。 そしてハッチは、すべて武人筋。 つまり、ルー・ガルの人々であるクシュ人。クシャトラパ、あるいはクシャトリアなのである。 王は常に司祭であるエン(主人)とは限らない。ヒンズー・クシュ山脈を越えたクシュ人が代行する時代もある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014年06月16日 06時53分14秒
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