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カテゴリ:哲学研究室
倫理で絡め、道徳で具体指示する、悪霊の特徴が、ほぼ見えてきた気がする。
イデー(理念)という名の悪霊の特徴は、「無時間性」というビジョンであると思う。 これは日本人には無時間性のイメージ。 無時間性の主張には、永遠とか、瞬間とか、予定調和とか、あるいは宇宙のできる前、といった悪魔用語を使う。 無限とか、絶対の黒体、全体といった概念もまた、この悪魔用語である。 人が時間とは切り離されて生きていけないことがわかっているのに、切り離して無時間性へと誘い、殺そうとするのである。無時間性への誘いは、悪魔の特徴。 単に日常との切り離し、脱存、エクジステンツだと考えてもいいのである。 神々(の誓約)は人に日常を与えてくれるが、悪魔のささやきは、日常から人を追放する。 権力への意思に囚われたり、永劫への回帰に囚われたり、予定調和へ囚われたりする。 これらは同じものだと思う。 つまり形而上学という名のニヒリスムスに落ち込むこと、なのである。 無時間性は、また、依り代に共通するものでもある。 依り代で、逆に人を、つまり時間を利用できるよう、時間形式を作り出す。 1+1=2というのは、依り代を組み合わせて、想定の時間を作り出す作業、なのである。現実の時間ではなく、企画された時間。 そしてこの企画された時間形式が、図式として道徳を語っている。 1+1=2というのは、言うなれば道徳方程式。具体的な道の提示、なのである。 依り代と道徳の関係は、いずれ論議したいテーマではあるが、置いておこう。誰かやってください。 具体的な道の提示は、やがてテンソルを使ってコスモスの絶対の秩序、絶対の音階へと、宇宙の倫理を語りはじめる。 しかしそれ自身が無時間性の内にあるがゆえに、絶対精神とか宇宙秩序とかをアルケーから手繰ろうとしても、手繰れないのである。理解できない。 しかし依り代であるがゆえに、現実において限りなく有効かつ有用でもある。 わからないまま、人を時間と切り離し、放射能で焼き殺せるのである。 中・高生の頃、微分積分がどうしても、わからなかった。今でもわからん。 決められた手順どおりやれば問題は解けるのだが、理解して解いているのではないことが、自分でわかっていた。 物理学もそうだった。こちらは数学ほど成績はよくなかったのだが、仮にテストで100点取れても、わからなかった。後にも先にも物理100点というのは確か1度だけだが。 その理由の方が、最近わかってきた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014年10月08日 06時37分59秒
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