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2014年10月11日
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カテゴリ:哲学研究室
 時間経過には、必ず、その日々の場所が用意されているのだが、欧米人の時間論で不幸な点は、日々の場所を捌きだしている庭が見えていないことである。
 指示(ノート)やビジョンは見えているが、庭の空間が見えていない。
 彼らは空間を見ずに、神との契約書を、そこに見てしまう。ノート・ブックなどは、彼らにはないのである。ノート(指示)だけ、が、ある。
 そこに立つことは悪魔チックなので、契約から拠り代へは、出てー立てない、のである。
 例外的単独者として出て-立った、セーヤンですら、反復の場、と考えるしかなかった。
 いわば瞬間の繰り返し、神の恩寵の、受け取り直しなんだと。

 庭は、必ず場所である。
 それは空間の上か中かに居座るガルテンであり、エデンなのである。
 ガルテンというのはもちろん、偉大なる・光り輝く、という動詞。エデンもまた、立てー組・光り輝く、という動詞。

 つまり時間表現であり、それゆえに身体表現であり(軽薄にスピノザチックだが)、日常となるべき誓約の場、だということ。
 小生は、庭を、身体外部に延長した身体だ、と、過去に定義したことがある。

 つまり時間論議の拡張がもたらしたものだが、その範囲は常に「進退」。此処ー露の進退(身体)である。
 時間経過には、必ず、その日々の「居場所」、オルトが用意されている。
 この論議を見せ、露にしている動詞的空間、「居る途」が必ずある。
 それが庭、なのである。
 詩人ゲオルク・トラークルが追い求めていた、暗い目つきの庭。

 一期一会の、幽玄(有限)な庭。
 瞬間、というのは、無時間性の(悪魔の)妨害による、一期一会の見誤りである。
 無時間の瞬間や反復など、なくて、一期一会、がある、のみである。







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最終更新日  2014年10月11日 07時00分05秒
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