|
カテゴリ:哲学研究室
イメージは対象物の薄っぺらいピクチャーのことであるにすぎず、なんら現実ではない。合目的物を選んで、ミメーシスして見ているだけ。
だが、日本人は特に、心構えで受け入れるソレが現実だと、思い込んでしまったのである。 過去の時間ではなく、今後企画される未来の時間をも受け入れてしまった、ということ。 もともとソレが持っていた「実物に似せた仮象」という大切な意味は消えた。「学ぶことは、模倣」という、「師の技を盗むことだ、という」、心構えを正す意味も消えた。 i(おれが)・メー(神々の力)・ge(反復する)のだから、主体性のある「再現」なのだと。 おれのイメージであり、おれの心構えであり、おれの命なのだと。 しかし、その主体確立は、日本人には、もともと無い。絶対の神との直接契約なんぞはしていないので。 むしろその場の、無時間・無空間な悪魔の、いいなり、だということ。 イメージに囚われる、今日の日本人の置かれた危険性を認識していた人々は過去に居たが、世間にはいびられ、論争には敗北して殺されたので、今日では見当たらない。 誰もがイメージで物事を見て判断しているので、イメージというこの権能を、疑う人はいない。 だから、良いイメージを広め、悪いイメージを遠ざけ、蓋をしようとする、へんな人々まで出てくる。 はだしのゲンやカツエさん、などのイメージは悪いんだと。 自分に巣くう、悪魔のいいなりであることに、気が付いていない。 イメージは対象物の薄っぺらいピクチャーのことであるにすぎず、つまり漫画ということ。なんら現実ではない。裁判で論じられるべきファクトウムでもない。 イメージやイデーが、現実を支配したりはしない。 テクネーに長けた人々であるにすぎない芸術家の言うことを鵜呑みにすると、ロクなことがない。 それは絵描き屋の社会主義指導や日和見社会主義者のイメージ指導で国を潰した、ナチスや大日本帝国が証明したのである。まあ、敵のチャーチルやローゼンフェルトのほうが、もっと強力な悪魔だった、ということだが。 現実を支配するのはメーであり、そこに捌いて見出す神々の力や、自分の命や、進ー退なのである。つまり、時間と空間の方、なのである。合目的が示唆する人の直感の対象ではなくて、人の直感の形式の方、なのである。 誰がコノ穴を? 巨大鳥が逃げた形跡。毛がいっぱい付いてた。 ドル買い加速。米国市場はコケたが、今日は上がるかも。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014年10月30日 07時41分08秒
コメント(0) | コメントを書く
[哲学研究室] カテゴリの最新記事
|
|