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そのナゾを列挙して説明していくまえに、当時の極東域の時代背景と、描かれた、かぐやひめの物語部分の歴史的背景を、説明しておきたい。
物語の方ではもっと古く、もっと遥かに遠い時代から説き起こしたが、もっと一般的な知識のほうからがいいだろう。これは書き換えるかも知れない。 600-700年頃の、極東の動乱の時代背景にあるのは、朝鮮半島では倭国連合の衰退滅亡、そして新羅の台頭である。 最後に百済、高句麗の滅亡と、加えて日本の建国が来る。 善徳女王の時代に、新羅は高句麗と百済に攻められて、滅亡の危機に陥るのだが、その背景にあるのも、実は「新羅の台頭」、なのである。この説はオイラだけのもの。 弱小衰退していたから攻められて危機に陥った、のではない、のである。 この時代の新羅は、半島で倭国を併呑して余力があった。 その余力を、あることに使っていて、熱中しすぎてワキが甘くなり、周りの、危機感を抱いた国々に連合され、そこを突かれた。 それでやむなく唐帝国の力を借りて百済を滅亡させ、さらに高句麗をも滅亡させて、結果的に、統一新羅という超大国となっていった。 その、唐帝国ともコトを構えられるような力を得た統一新羅だが、辺鄙な列島の大和政権に、しばらくの間だけだが、朝貢していた、という、実にへんな事実がある。 これを説明するため、日本書紀では600年代に、新羅を攻めて、あららとたららを占領したという、もっともっとへんな話をでっちあげてある。 だが、ここに出てくる、この「阿羅と多羅」という新羅の辺境が、実は曲者。 新羅王権を統一新羅へと導いた、中核の、最も重要な勢力なのである。 それをまず、新羅国の成り立ちから、少しずつ説明していきたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014年12月16日 19時29分23秒
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