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カテゴリ:歴史・文化
大和における日本軍と、日本風の庭園文化、そして仏教と万葉の歌の文化は、全て直に”宝姫がもたらした”ものなのである。
この事実は明白なのだが、現代の人々も、宝姫の正体がわからぬまま混乱する。 まるで月からの支配者のように見えている。 実は、その証拠も、あるのだが、トンデモが酷くなってくるので、本気で見ようとしない。 日本書紀にも、二度、不審な記述が出てくる。モノホンに傘型UFOが出てくる。 宝姫は、巨大な日本軍(阿羅・多羅の諸軍)の雑兵を率いて、突然に大和に出現した。 だが地元の豪族たちには、相手がどこから来たのかも、わからない。 過去に類を見ない、過酷な、しかも和歌とともに来た武人大王である。 この和歌を解析していけば、いろいろ手がかりが、見つかる。 宝姫の歌以外にも、中の大兄の皇子の歌や、舒明天皇の歌といったものが最古のものとして残っているのだが、実は、ほとんどが宝姫の作では、と疑われている。 中の大兄の皇子の歌は本物だと思うし、後に紹介したい。 物語中にも載せたが、舒明天皇の歌は重要な内容なので、物語中の解釈部分を、そのまま転載しよう。宝姫の作説に賛成。 山常庭 村山有等 取與呂布 天乃香具山 騰立 國見乎為者 國原波 煙立龍 海原波 加萬目立多都 怜*國曽 蜻嶋 八間跡能國者 大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は 鴎立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島(あきづしま) 大和の国は 音だけで読めばロクに意味はないが、同じ音でも違う漢字を配してある。 明らかに漢字の意味も読めや、ということなのである。 それに、これを大和の飛鳥の天の香具山と読めば、意味が通らない、へんな歌である。山常庭も、読みが、おかしい。 飛鳥の天の香具山は、登っても周辺が見回せないほどチンケな丘だし、カモメの飛ぶ海原など見えるはずもない。 これを意訳すれば、こうなる。 山(国のこと)は常に、とこしえの宮廷の捌き(のようにあるべきだが) 群れる山はあっても 呂布が取り繕ったような(短いものだった) 早馬が知らせてきた天の王朝の香具土の火の山からは 国を見回せば合戦の場には煙が立ちこめ 海には、カモメのように人々が渡ってきて多くの町を立てつつある(のが見えるという) (国の)過去は、へぼ(上っ面をなでるだけで、深みがない)島だった。 八(王朝の)跡にできる(新しい)国は、とこしえの宮廷(であるべき)山だ かくして、八間跡、山常の意味を重ねて、大和・ヤマトが出来た。 舒明天皇の時代、つまり宝姫が未だ金官加羅にあって、ユシンのおとっつあん、舒弦といちゃいちゃしながら、権力関係や偽装系譜を整理していた前の時代のできごとにしたのである。 実際に、その時代に基礎が出来ていたのだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年02月14日 10時22分08秒
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