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カテゴリ:哲学研究室
幹事様の骨折りのおかげで、今年も、哲学科三村教室**年会の、ささやかな会合が持てた。
mrスポック顔の怖い顔をした幹事様に、自宅に帰って飲みなおしつつ、感謝御礼。バスの連絡が悪くて、家まで3時間近くかかった。 年々顔ぶれは減る一方で、今年はついに7名。 大阪のミナミで落ち合ったのだが、みんな本拠はバラケていて、関東の人も居る。住所のわかっている人はぜひ一度顔を見せてほしいものである。 誰も若い頃の覇気はなくなったし、酒も飲めなくなった。会費も、食うだけ食って飲むだけ飲んで、たったの5千円。安くなった。 これはまあ、日本人が貧乏になった、からだが。 15年ぶりくらいに日本橋界隈を一人でウロついて、寂れた大阪の町も体で感じた。 そもそも日曜だというのに、道を行き交う人が当時の半分以下、しかもほとんどが中国人や韓国人。古本屋も電気部品の専門店も、エロソフト屋さんも、なくなった。 最近の若者は、どこでたむろしているのか、想像もできない。 同窓会の方も、例年哲学の話は皆無だが、今年はなぜか政治の話がぜんぜん出ずに、ユダの話が出た。 これは世の流行のようで、それでいて、実は誰も整理ができていない。オイラも全然、できていない。 明治以降の日本の勃興と滅亡に、そして今日の世界情勢に、モロに関係しているのだから、これがわからん、といういことは世の中わからん、ということと同じ。 三村先生の言っていた、対象認識における先験的誤謬というコトの整理がついたら、ユダの問題も、同窓の仲間にも全然理解してもらっていない時間の問題も、サルでもわかるように整理したいとは思うんだが。 だが、モウロクがひどくて、何をやっても新しい泥沼が見えてくるばかり。 整理しようというのがイカンのだと思うンだが、モウロクがひどくて、もう自分が逃げ込む場は、ワカランかった哲学の「無知」しかない。 根拠ーナシというロゴスと直面し、整理できん、ワカラン、ことに直面したら、自分の悪事は気にならなくなるので。家までの3時間という、「時間」も気にならなくなる。 泥沼が、ワカランことが見えなくなる、ということ。 そうならんように、整理できん理由を整理したい、とは思うんだが。 ともあれ幹事様、今後も、よろしく。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年02月15日 20時48分04秒
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