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カテゴリ:歴史・文化
しかしまあ、西洋に彼らユダヤ人が出現した10世紀頃の昔から、彼らの陰険かつ陰謀好きの正体は、バレていたのだろう。
有名なユダヤ人やユダヤ関係の文化人を見ていくと、この10-11世紀にどっと、突然沸いて出てくるので、間違いないだろう。 有名なユダヤ人やその著作家にも、9世紀には旅行家や8世紀にも詩人が居る程度。 バビロンと今のイスラエルあたりに細々と集まっていただけで、ユダヤ文化そのものが消えかかっていた。 もともとキリスト教徒もイスラム教徒もユダヤ教徒を嫌っていたし、庶民には、徹底して嫌われていた。 一部の指導者層だけが持つタルムードが、まず胡散臭かった。 それだけではなくて、たぶん、指導者層であるレビたちが隠している前歴もあった。 当時の人にはすでに、陰謀持ちの種族だと、知られてしまっていたということ。 彼らは出現した頃から、異様な大金持ちが多かった形跡がある。 この時代に、突然沸いた文化人だった。 西洋や東欧、イスラム諸国の王族と直接の関わりがあり、交渉の仲介役や相互に行き来する商人として、西洋諸国やイスラム国が、もともとモロに必要とする人々だった。 いわば、彼らの存在自体が、「世間の陰謀」、みたいなものだったのである。 庶民の不平不満を引き受けて人柱になってくれるし、カネは出してくれるし、イスラムの連中との仲介役まで、やってくれるし。 王族には都合がいいが、その胡散臭さが、どうしても鼻につく。 どうも10世紀の頃、それも十字軍の遠征の頃に、彼らは西洋に大挙してやってきた。 その前に、バビロンでキリスト教は研究されていたらしいが。 意図的に、捕まってつれてこられたのかも知れないが、奴隷としてやってきたのではない。カネや優れた文化を持って、キリスト教社会へと入って、それも大都市を目指してやってきた。 十字軍というのは、神目当ての遠征ではなくて、陰謀で人を動かしての、カネ目当ての遠征だったから、カネを集めた。 ついでにイスラム圏で、カネを持つが居心地の悪かった彼らも一緒に、集まった、のだろう。 西洋も、少年十字軍を編成させて集め、売り飛ばして儲けた、なんてのもあるらしいほど。人をモノ扱いする時代だった。今でも人材といって、材料扱いだが。 情報源としても仲介者としても奴隷商人としても、ユダヤ人商人は必要だったし、カネを持っていたので、ユダヤ人集団自身が、よく十字軍の攻撃目標にも、なったようだ。 戦勝奴隷としてつれてこられた連中も居たかもしれないが、その形跡は少ない。 アシュケナージもセファルディも、最初に湧いたのが、どうもオランダからベネチアに至るライン上。実は北アフリカ、チュニジアなどにも見られる。 スペインのアラブ圏に居たというより、大挙してやってきた雰囲気。 西洋のまっただ中の、”線上”なのである。これが、ようわからんのだが。 ローマ帝国に、もともと居たはずだ、と考えてしまうのだが、その形跡があんまりない。7世紀頃の最大の過去の拠点は、やはりバビロン。 それが一旦消え、10-11世紀には、オランダ圏の諸都市、大都市フランクフルト、自由都市ベネチア、チュニジア、などが最初の拠点となったようだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年03月02日 17時50分49秒
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