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2015年03月17日
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カテゴリ:歴史・文化
「曰若に諸を稽ふるに 伝にこれ有りて曰く 神は耀体 以て能く名づくる無し 維鑑能く象どる 故に鑑を称して日神体と曰ふ 読んで戞珂旻の如し 」

 この文を知っている人は、かなりの古伝通だと思うが、オイラはこの、神は耀体、というのが特に気に入っていた表現。
 オイラたちの先祖は、それを深く認識していた。以て能く名づくる無し、と。
 要するに神は耀体で、名づけられないので、とりあえず鑑とか戞珂旻(カカミ、鏡のこと?)とか言うしかないんだと。

 ユダヤ人は、正反対のように、違うんである。
 連中は神を、存在者の存在だと、JHVHだと表現する。但しユダヤ語で、だが。
 それも11世紀に出来た言語と文字で。

 オイラたちの先祖は、阿羅語で、個々の神々を、名の無い**の神、と言っていた。
 名の無い太陽の女神も、丑寅の金人、別名スサノオの尊も、ツクヨミの尊も、本当の名ではなくて、あくまで「建前の神」であることを知っていた。

 耀体、つまりプラズマを前にしても、ソレを対象認識できるようには思えない。
 しかし鏡として、あるいは鑑として、映したり赫かせるソレを「カンガミル」ことはできる。
 「カンガミル」というのはもちろん、思惟のことである。
 しかも、映して考えること。
 観我見る、あるいは感画看る。
 
 こういった漢字を当てはめて行けば、もとの言葉が、いかに多様な意味を含んでいるのかに、がくぜんとするはず。
 鏡を見て我に出会っていたんではナルシズムに陥り。
 写るイメージに感動していたのでは自己を失くしてしまう。

 日本人の個々の神はすべて建前。
 しかし現実をもたらす神々の力は、違うのである。





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最終更新日  2015年03月17日 16時42分10秒
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