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カテゴリ:歴史・文化
アダム・ヴァイスハウプト
この人物はイルミナティの筆頭のように祭り上げられることの多い人だが、いかに聡明な人であったにしても、とるにたらん、単なる悪魔主義者だと思う。当時のイルミナティ団体の主催者だった、だけ。 倫理学に手を出しているからである。 悪魔主義者の、卑小な尻尾が見える。 倫理なんて、共有のモノではなくて、オイラという個人に直接ささやいてくる悪魔の声にすぎん。 共有のモノとして、無理に想定し作り上げたのが、道徳と言われる記述。 自分だけの道徳律として、敬虔主義者のカントは、それを見ていた。 それをムリに共有化しようと図るのが、倫理学。 つまりある種の形而上学意図が、そうさせるのだと思う。 その律を告げる声(ロゴ)の力は圧倒的だが、その根源(ロゴス)は暗い。 メー・オン(無)なのである。 自分自身を覗き込んでみればいい、そんなもの見える分けない。無いんだから。 何かあると思い込んでいるソレは、悪魔の言葉の方。 この暗さに耐えかねて、つい導きの光を志向してしまうのが宗教というもの。 暗さに直に頼ると、必ず悪魔主義となる、のである。 それがカトリックやイスラームという名前であっても、同じ。 光に頼るのはイメージ・イマーム主義、アーリア主義、ユダ、差別主義者の特徴でもある。 それらに対し、ジャイナに学んで自ら出家して修行して悟った、サカ族の雄牛ゴウタマが教えたのは、悪魔の軍団を近寄らせず、中庸に接すること。 欲望にも、理念にも、迷信にも、さらに希望にも囚われてはならぬ、と。 ソクラテスが教えたのは、汝・・・すべからず、というダイモニオン(悪霊)の、「否定の声の方」を、聞きわけること。ロゴスに尋ねること。 モーゼがヘブライの民に告げたのは、その「否定の声だけを集めた、ロゴ」だった。 アダム・ヴァイスハウプトがやったことは、倫理として悪魔(神?)がささやいてくるその声を研究し、共有利用して、組織に仕立てて、共有できる有益な利益に使おう、ということである。 つまり共有のモノではない悪魔(神?)の声を、利益のために共有しよう、というのである。 利益とは何か、オイラたちは何者か、否定の声を頼りに探ろうという努力は、一切無いままに、悟ろうともせずに、である。 「バイエルン王国で1776年に、インゴルシュタット大学(英語版)の実践哲学教授アダム・ヴァイスハオプト(英語版)が啓蒙主義的な Perfektibilismus(人類の倫理的完成可能説)を謳い、Perfektibilisten の同盟をつくり、のちに、イルミナティと改名した。」といわれる。 彼は何をやろうとしていたのだろう。 ** ここも最近よく見かける https://www.youtube.com/watch?v=ZI9sSUp8huk https://www.youtube.com/watch?v=Ttp4kYB2Q70 https://www.youtube.com/watch?v=5hGwH6Ltm2I https://www.youtube.com/watch?v=9YUp69wOvu0 ** キバナコスモス お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年07月24日 06時59分54秒
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