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2016年01月16日
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カテゴリ:哲学研究室
 ところで、その肝心の西田先生の場所的弁証法なのであるが、コレが小生、はっきりいって、わかんない。
 先に述べた、場所の論理、以上のものは、でてこない。

 過程的弁証法や物質的弁証法は批判してぶっ壊しているのだが、自分の場所を批判してぶっこわすべきものが何もない。
 自分の偽装についての反省もないから。
 だから、わからん、のである。 
 「死に行く場所」、以上のものは。
 
 解説者は、この後、西田先生が一般と個の、自己限定と相互限定について、あたかも反省にも見える論議をしていると教えてくれる。
 しかし、先生は無反省から始めているので、それはムリなはずである。

 個は絶対の自己否定で始まり、一般者もまた判断的一般者、自覚的一般者、叡知的(表現-行為的)一般者という無時間性の中にあるので、これは時間・空間が関与する反省論議とは無縁、なのである。

 自己限定と相互限定というのは、言うなれば二進法である。
 個物も一般者も、西田先生の論理では二進法でできている。
 しかし先生の場合偽装の論理はありえないので、イエス、ノーの、正と反の論理を推進させるには、第三の契機を想定せねばならなくなる。
南無阿弥陀仏。
 
 ライプニッツの場合は、予定調和と個々のモナドに、アピタイトという属性を考えざるを得なかった。
 先生は単一の世界を写すモナドを提示せず、予定調和も出してこないので、イエス、ノーの論理を動かす無時間、無空間の「場所」が必要となった。
 さらにその場所を支える、判断停止へと導いている第三者が要るのである。
 これはまさに、居る、ではなくて「要る」、だろう。

 弁証法という(言い訳)論理が、そこに見えてきて、ある。
 それは哲学として、解って、見えている。
 個物は自己反省をしないので、相互限定の中で自己限定をする。
 命題に対すつ絶対矛盾の中で、自己を限定し、いわば無の場所が、そこに自覚され、「言い訳を」連れてくる。
 個物は別の個物と相対峙していたわけではなくて、実は三者で相対峙し、三すくみの状態であったことが見えてくる。
 いわば、別の時間が、他力が見えてくるのである。

 論理はすべて、そうなのである。
 かならず対象的認識なのだから。

 イエスかノーかで論理ができるのだが、イエスでもノーでもない、それを判断させる「トピカルな場所」が必ずあって、その場所に持ち込んで、論理判断はなされる。
 つまり、小生のよく言う、「捌きの庭」が要るのである。

 それが場所、つまり本当は時間と空間なのだが、そこには時間と空間の予定がある、のではなくて、時間と空間を「思い出させるジレンマ」が、あるということになる。

 ライプニッツはアピタイトという欲望や神の予定調和を使ったが、西田先生は、われと汝という、絶対矛盾が一なるものとして帰結する主体が立てた対象に対して、実は「無の場所」として、見えずに対峙していた第三者を持ってくるのである。






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最終更新日  2016年01月16日 08時39分51秒
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