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カテゴリ:哲学研究室
自然と環境を命題化して論じることで、自己反省に頼る哲学は殺される。
わからなくなる。 個々人の命の暮らしを立てる政治経済が、政治と経済に、そのファクトウムに分けられて、わかんなくされたのと同じ。 自然については先の章でも述べたので、特に第二章では、環境について、まとめておきたい。 常識の論議では、環境とは身の回りの出来事で、自分の命を支える、それが所属する時間空間のことだと思い込んでいる。 自分の身体だけの問題ではなくて、自分を含めた宇宙の問題だと。 神の予定調和がなければ成り立たない、この形而上学は、いまや常識の座を射止めた。 この常識は、超賢い宮廷の金庫番ライプニッツが構想し、仕上げたのである。 仕上げて、コレで世界の人々を閉じ込めた。 ネット社会のデーターベースも、二進法のコンピューターも、気象操作のケムトレイルの発想も、経済社会の仕組みも、彼が構想した。 ハザールユダヤ人ではないだろう、彼らを導いていたイルミナティの親玉の方である。 個々のうすっぺらいファクトウムを、瞳着の理念(撞着ではない)でわかるように偽装して、対象認識可能なものにしたて、クラス化して操作可能にしたのである。 (この瞳着という概念は、西田哲学の本質として、小生が勝手に遠い過去に見出した概念。これがクラス化のモトになっているし、やはりライプニッツの影響下で、日本人特有のイメージ思想を生み出した) 微分・積分と同じ、微細なクラスを使って、無限の領域まで延長して、統計的には1がゼロになるように、偽装して作り上げた。 本物の形而上学を立てた。 微細なミリュウという、個々の環境形成の要因となる質料が、相互に組み合わさって複雑な身の回りを形成するのだと。 それらはお互いに輝きあい、情報交換し、未知の予定調和へ向かってどよめいて、御殿のような華厳世界を構築しているのだと。 まあ、ミリュウという、後世のフランスでの論議は、単純に考えてもモナドロジーの軽薄化である。 ライプニッツは何をやったかというと、自然と環境を命題化して論じることを可能にし、反省に頼る哲学を殺したのである。 篭絡抹殺にかかったスピノザだけは無理だった。 スピノザは転向ユダの平民であるが、慇懃に尋ねてきた貴族には迎合せず、買収されることもなかった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年03月31日 07時33分40秒
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