|
カテゴリ:哲学研究室
悪霊の声とは、私どもが理性の声だとしている「理念」のことである。
対象的認識を明確にし、目的を見据えて初めて明晰判明に語られる、論理的な声のことである。 目的を持って、それをアルゴリズムへと示唆する声と、単に言ってもいい。 普通の人で、これを聞けない人はいない。 但し、これを悪霊の声だと認識しているのは、ごくごく少数だろう。 哲学者だけかもしれない。 カントは純粋理性を追及して批判して、それがシェマチスムスの闇に消えていることを確認した。 純粋理性批判は、悪霊の声批判、なのである。 ほとんどの人は、無意識無自覚だったり、本能の示唆だと思っていたり、単に自分の意思だと思い込んでしまっている。 宇宙の論理だと思い込んでいる人もいる。 心理学などでは、これを操作する努力を、実に熱心にやっているのである。 理念的認識の背後には、必ず命題が立っている。 命題が立たないと、その声は聞こえないし、目的が立たないと声にはならない。 自己反省のあまり、その声を自分が従うべき道徳の教えだと聞いてしまう人もいれば。 自己反省のできない人は、その声を、社会を動かしている倫理的な力だと思い込むことさえある。 道徳は必ず具体的な文章になっていて、自分だけのものではなくて、社会の共有物である。(わが内なる道徳律) 倫理は社会のものではなくて、自分に反省をさせている「自分だけに有効な力」にすぎない。 そのことを無視して、他人を動かす悪魔的目的で論議してしまうのである。 悪霊の声が自分の目的と重なるに至ったら、それをカルトという。 宗教と時間・空間的に真逆の(魔逆の)事態が訪ずれる。 宗教というのは、硬直した理念から自由になって、自分本来の予定を受け取りなおすこと(実は自分本来の予定という、それも怪しいんだが)。 レ・リジョン、神との関係を結びなおすこと。 だが、カルトは、神以外の勝れた存在者を崇拝することを言う。 明確に言うなら、直に悪魔の手下となってしまうことなのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年05月24日 06時43分30秒
コメント(0) | コメントを書く
[哲学研究室] カテゴリの最新記事
|
|