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2016年05月24日
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カテゴリ:哲学研究室
悪霊の声とは、私どもが理性の声だとしている「理念」のことである。
 対象的認識を明確にし、目的を見据えて初めて明晰判明に語られる、論理的な声のことである。
 目的を持って、それをアルゴリズムへと示唆する声と、単に言ってもいい。
 普通の人で、これを聞けない人はいない。

 但し、これを悪霊の声だと認識しているのは、ごくごく少数だろう。
哲学者だけかもしれない。
 カントは純粋理性を追及して批判して、それがシェマチスムスの闇に消えていることを確認した。
 純粋理性批判は、悪霊の声批判、なのである。

 ほとんどの人は、無意識無自覚だったり、本能の示唆だと思っていたり、単に自分の意思だと思い込んでしまっている。
 宇宙の論理だと思い込んでいる人もいる。
 心理学などでは、これを操作する努力を、実に熱心にやっているのである。

 理念的認識の背後には、必ず命題が立っている。
 命題が立たないと、その声は聞こえないし、目的が立たないと声にはならない。
 自己反省のあまり、その声を自分が従うべき道徳の教えだと聞いてしまう人もいれば。
 自己反省のできない人は、その声を、社会を動かしている倫理的な力だと思い込むことさえある。

 道徳は必ず具体的な文章になっていて、自分だけのものではなくて、社会の共有物である。(わが内なる道徳律)
 倫理は社会のものではなくて、自分に反省をさせている「自分だけに有効な力」にすぎない。
 そのことを無視して、他人を動かす悪魔的目的で論議してしまうのである。

 悪霊の声が自分の目的と重なるに至ったら、それをカルトという。
 宗教と時間・空間的に真逆の(魔逆の)事態が訪ずれる。
 宗教というのは、硬直した理念から自由になって、自分本来の予定を受け取りなおすこと(実は自分本来の予定という、それも怪しいんだが)。
 レ・リジョン、神との関係を結びなおすこと。

 だが、カルトは、神以外の勝れた存在者を崇拝することを言う。
 明確に言うなら、直に悪魔の手下となってしまうことなのである。





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最終更新日  2016年05月24日 06時43分30秒
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