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2016年06月20日
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カテゴリ:哲学研究室
 自分という、時間・空間を反省できる人は、そのことに気がつくはずだ。
 しかし反省のできない人は、ありもせん未来を見て、さまようしかないのである。
 世の中の予定調和を説明してくれる、納得のいく理論を求めて。

 時間・空間は、対象的に認識できる「もの」ではない。
 倫理も同じである。対象物ではない。
 感性の形式や判定の理屈であるから、見本がなければ空虚な悪霊のわめきにすぎない。
 道徳は違う。
 これは具体的に記述された徳の道であるから、対象的に論議できるし、認識できる。
 人が認識できるのは名詞化された対象物のみである。命題定義されたモノだということ。
 道徳は、この「命題定義されたモノ」なのである。
 目的は、心構えの構築のための見本提供、なのである。
 その命題定義は何を使ってやるのかというと、時間・空間のクラス(感性の型枠)を使ってやる。
 だから、反省のできない人には、規範が、そこにあるように見える。
 道徳を、硬直化した目的への規範だと読んでしまう。

 それは時間・空間をクラスとしてのみ見て、いわば逆立ちさせて、硬直化させて対象化認識してみているから、そうなるのである。
 時間・空間は人の感性の形式なので、クラス(型枠)となりうるが、規範ではない。
 自分でよくわかっているものだが、弁証できない。
 
 道徳は違う、すでに弁証されている「モノ」。
 (自己)反省のできない人は道徳を規範だと読んでしまうから、これが弁証されていても、否定的弁償だ、ということが読み取れない。

 そうなのである。道徳というのは悪霊が語る、「否定の弁証」である。
 時間・空間の反省でわかる、哲学への誘いなのである。






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最終更新日  2016年06月20日 06時22分17秒
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