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カテゴリ:哲学研究室
ここが大事である。
理想や幻影を見せる権能がビジョン、なのではない。 自分の「責任で」詐欺予定を「騙る」のがビジョン、なのである。 だから、責任をとらないビジョンは、単なる詐欺である。 宗教家の宮沢賢治は、取れもせん自分の共有責任に押しつぶされて死んだと言える。 詩人の萩原朔太郎は、詩壇の総代表第一人者という共有責任に押しつぶされて、氷島に閉じ込められ、死んだ。 責任は自己責任であって、共有のソレではないことに気がついていなかった。 まあ詩人の繊細な感性に対して、時代の権力の圧力がひど過ぎた。 やはり、ビジョンに惑わされていたんだと思う。 氷と火の闘争は、ナチズムのビジョンである。敏感な人にはそれが見えてた。 外来語のビジョンは、理想像と同時に幻影、という意味も、ちゃんと持っている。 これを理想に至る(未だ、どこにもない)道筋と捉えるか、破壊すべき(誤った)幻影と捉えるかで、騙られたヴィジョンに対する、こころ構えも違ってくる。 必ず両方、持たんと、いかんのである。 しかしこれを、目指すべき具体的な目に見える道筋だとか、教えだとか、選ばれし予定だとかと考えてしまえば、それは詐欺予定に嵌った、カルト化した、ということなのである。 カルト化しない救済の手段は、ポイエシス(出ー来)にメを向けることである。 ポイエシスはイメージと対になってはいるが、イメージに囚われたら、メを塞がれてポイエシスは見えない。 しかしエ・メ(言語)がやっているのは、ロゴをロゴスからつむぎ出して言葉にし、出ー来させること、である。 ポイエシス(出ー来)にメを向け、自分自身の過去を反省しさえすれば、食物詐欺にも医療詐欺にも、イメージを使った詐欺には会わなくてすむはず。 金銭詐欺に会いやすいオイラの言なので、かなり怪しいが。 詩人たちも、カルト化しまいと身構えるあまり、詐欺師横行する大衆のカルトに包囲されて殺されたと言える。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017年09月22日 07時09分07秒
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