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カテゴリ:哲学研究室
目的を隠した人工知能も、この享有であるはずの時間空間を、共有だと偽って提示される技術である。
オイラ断っておくが、この人工知能方面の知識はゼロ。 その手の本を読んだことは一度も無い。 しかし、人の知能を模したモノのはずなので、それがナニかは、わかる。 人の知能を、誤謬ではなく(目的」を隠して)権能として捉え、偶像立ててメカニズムとして再現可能にしたモノだろうと、予想もできる。 人工知能という権能のクラスを、その能の源泉から遠ざけて独自の権能とみなす。 固有のものだと偽り、隠した目的を達成しようとする、巨大詐欺だろう。 権能のクラスには、必ず、その源泉がある。 あんよひもが、アルケーが、必ず控えているのである。 踏み込むべき問題のキーがある、といってもいい。 そのキーが、わからんようにしてしまってから、技術成果のみを提供する魔術。 こう言えば、わかりやすいと思う。 そもそも人の知能とは何か、ぜんぜんわかっとらんのに、技術成果がある、この不思議。 これを不思議と思わん人は、詐欺に会っても気がついていない、オメデタイ人なのである。 ソクラテスが死んで、世の中は、おめでたい人ばかりになってしまった。 感性のクラスを対象評価して、それを再現共有できるオート・メー・ションに仕立てることで、人工知能はできる。 クラス化のもととなる原料は感性、つまり認識や認知や対象把握、なので、それに合致した自然物(純粋な素材)を見出すことが、まず必須なのであるが、これは表象権能、つまりイメージのクラス化で代用される。 イメージを立てるのは感性ではなく偶像のクラスである。 感性は皆無の二進法数学のメカニズムなのに、表象権能があるために、感性の形式である時間・空間がある、かのように機能する。 実際に瞬間という空虚な時空はあるのだろう。今でしょ、と。 何が言いたいのかというと、詐欺だ、さぎだ、と言いたいのである。 表象権能を仕立てて、これが能の機能と同じだ、と言っているではないか。 正確さは確かに同じである。 いや、人の脳は誤謬を含むが、この悪魔の表象権能には誤謬が無い。 但し、命題が、その目的側に立っているので、出ー来る、その権能のもとはロゴスではなくミュトスなのであることになる。 基礎が誤魔化されるのである。 実際には目的に沿ったオートメーション機構が作られているだけで、出ー来る、そのポイエシスはミュトスではなく、ロゴスが担う、とウソをつく。 ウソどころか、堂々とこれを言い始めている。 過去の西田先生を筆頭に仕立てて。 機械仕掛けの神がせり出すように舞台を仕立てて、観客を騙して、観客のほうにオルガン演奏させている、だけの話である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017年10月04日 06時51分28秒
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