【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

フリーページ

2017年10月15日
XML
カテゴリ:哲学研究室
 ファクトウムが述べていることはぜんぶ、感性表現なのである。
 事実は感性でできている、ということ。
 そしてこれが、理性法則、つまり感性の図式(シェーマ)なのである。

 ミュトスという独立した権能があって、それが感性を司り、ロゴスという別の権能が理性を司るという伝統的常識がある。
 だが、これは能が見えていないからこうなった、のである。

 実際には様々な受け取り方をした現実があり、対象化認識された事実がある。
 因果律があるから情報そのものがある、と想定して、何も無い未来にすえたものが、ファクター(要因)である。
 結果があるから、原因がある、というわけ。
 実は、様々に解釈可能な結果は得られても、一なる結果など、ない。
 そしてファクターは、無数に見出されるはずだ。

 感性がこさえた能の世界のモノだから、新プラトニズムのような形而上学をやれば、むなしい原因が想定できる、だけ。
 やらせているのは全部、心象イメージなのである。

 これは実は、心に描きこまれたイコンなのだが、自己反省が無ければ、そんな事実(ファクトウム)は見えてこない。
 ファクトウム(事実)が述べているのはぜんぶ、感性表現で、しかも対象物ではなく、能の世界なのである。

 自己反省でしか得られない、感性の構えの一部始終を自然に(あからさまに)、しかし幽玄に(有限に)述べているにすぎない。
 このミュトスのクラスに、つまり図式の構えに乗せられて、命題を立ててしまうのはおろかである。本当に、アリストテレスがタ・メタ・タ・フィシカで言うとおりであると思う。
 だが、そうせざるを得ない面もある。

 感性は図式、つまり(人の)時間・空間の形式構え、でしかない。(物理的時間空間は別の架空想定モノ)
 なので、ロゴス、つまり対象化認識して言語化し、反復しないことには、あからさまな何事も、幽玄のままである。定かには、ならない。
 つまり、意味が一切無いように、見える。
 理性法則はつまり感性の図式なので、対象化認識して言語化し、反復(受け取りなおし)しないことには無意味だから。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2017年10月15日 06時35分05秒
コメント(0) | コメントを書く


PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

カレンダー

プロフィール

mugibatake

mugibatake

コメント新着

 アンチオーバーロード@ Re:日本酒を飲んでコロナ撲滅(04/28) ムギバタケ先生の「対象認識について(推…
 アンチオーバーロード@ Re:庭の形而上額 2ー4 常識の庭4(02/09)  50年前に出会ったときは近くて遠い存在…
 山科2008@ Re:こころ(02/22) お邪魔します。 哲学入門は繰り返し読んで…
 mugibatake@ Re[1]:新・ユダヤ人 3-5-5(05/10) 山科2008さんへ ありがとうございます。励…
 山科2008@ Re:新・ユダヤ人 3-5-5(05/10) > 拉致があかず (変換ミス)  …
 cozycoach@ Re:米国で(02/02) 進化について詳細です。 メインの質問は「…

日記/記事の投稿

お気に入りブログ

源氏物語〔10帖 賢木… New! USM1さん

前・後 マンネンコゾウさん

余多歩き くれどさん
一語楽天・美は乱調… cozycoachさん

カテゴリ

バックナンバー


© Rakuten Group, Inc.