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2017年12月04日
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カテゴリ:哲学研究室
 ・・・である、という存在に言及して判断するとき、私どもは必ず「対象物を認識」している。 対象物を見据え、その認識がある、ことを、存在する、ある、と言っている。
 わからん、ものを、あるかどうかわからん、と言ってるんではない。ある、と言ってる。
 西田先生のように、純粋経験を召還して、その魔方陣に身をゆだねている訳ではないということ。
 つまり、共有の「無」などは、ここには、ない。
 同時に、人の認識と無関係な「存在者の存在」も、無いのである。

 ・・・である、そのことに拘って論理的に見れば、その言及は同義反復となり、無の権能が背後に控えているように、確かに見える。目的を隠せば、弁証法のダイナミックな働きすら、見える。
 しかし認識しているのは対象物、である。
 そのモノを物として認識しているのは私個人である。ソレ(エス)は客観的共有物ではなくて、主観的享有物、なのである。
 ・・・である、そのことは、必ず、私という自分の時間・空間の分限が関与した、対象物の享有認識、なのである。

 だから、この・・・である、そのことを論議することは、時間・空間を論議することである。同時に、私という身体(時間・空間の進退)の自己責任を論議することでもある。
 存在の論議は、存在者の存在の論議ではなく、共有の人間(ダー・ザイン)論議でもなく、人(ダス・マン)の享有論議、なのである。
 単純で素朴な内容だが、実に基本的で大切なこと、である。

 これらのことをもう少し追求していってみたい。
 目的を隠した対象物の定義や、錬金術の工学意図から、ではなくて、哲学的に、である。
 哲学とは何か、については、オイラの哲学入門を紐解かれたい。世間常識(形而上学探求)とは違うので、注意されたい。オイラは、自分で解からないものは、哲学とは無縁だと思っている。

 まず、主観的認識と客観的認識について、これらを明晰判明にし、次に、対象物とそれを相手にするこころ、という伝統的デカルト解釈の誤解を正し、人の認識に必ず責任とともにのしかかる時間・空間、について言及し、最後に・・・である、ことをありてある存在者の存在(神)に委ねてしまった西洋の伝統が、哲学の道を踏み外した歴史をたどって見たい。
 長くなるのか短くなるのか、いきづまるのか、まだ、ぜんぜん、わからん。






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最終更新日  2017年12月04日 08時01分10秒
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