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2018年01月03日
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カテゴリ:哲学研究室

 では、この肯定の理念とは何か、解体していってみたい。
 感性の形式に拠りかかっている存在(有)が、解体すべき対象である。


 共有における肯定は、享有なしには肯定とならない。
 ・・・である、ことが間違いないと確信するのは、共有で定義されたそれが、自分の享有するものと同一であるからである。矛盾してたら否定となる。
 無矛盾で、かつ同一の「論理対象理念だから」、肯定する。

 そしてこの対象理念というモノは、論理で肯定する前に、自分が「自分の過去から持ち出してきたモノ」なのである。
 単なる先験的イデー(理念)なんだが、同一へと単一化された、一つの理念となった同一判断なのである。

 中空の中性の、純粋経験じゃあない。
 それ自身に同一判断を、つまりそれ自身の論理を含んだ享有理念、なんである。
 対象理念というモノは、空虚な先験的イデーに見えるが、それ自身の同一反復論理を含んだ享有理念なんである。

 実際に提示されて認識されるのは、時間・空間化された、実在の享有物として。
 だが、それ自身に同一判断を、つまりそれ自身の論理を含んだ享有理念が、その過去の享有物を見えなくしてカルト化しているのである。
 過去の享有物が、そのクラス枠と化して、実在の過去を延長に導いている。つまり空虚なマトリクスに導いている。
 共有で、その判断に置いて、解かったという、その部分のみが、享有の実在と関係している。


 つまり、客観的認識なんて、享有の材料で解かるクラス枠部分は、それ自身の同一反復論理を未だ持っているのだが、それで得た延長部分は、空虚なマトリクス世界のものだということ。
 まさに数学と同じ。
 ここに、人の対象認識における先験的誤謬の原因が、ありそうである。


 オイラたちは、モノのみを対象化認識できる。モノ以外は認識できない。
 しかしこのモノは、享有する実在のモノを使ってこさえたクラス枠なんで、客観的認識は、常に、有限で空虚な延長と、有限で感性的な思惟主体、に分裂せざるを得ない。
 過去の枠で未来想定するので、その想定は常に誤るしかない、わけである。
 正解は否定にしか、ならない。

 しかし、客観的認識の絶対肯定感は、どこからくるのか。

 それを与えているのが、「それ自身の同一反復論理」、だろう。同一・・・である、というコレ。判断が、・・・あるじゃんか、と。
 認識の枠は認識の内容枠としては、絶対に正しい。取り消しがたい過去のモノだから。
 しかしその枠にはめてこさえたモノが、理念枠では正しくても新しい対象に対して正しいかどうかは疑問。


 ここに、論理と時間・空間との関係が、なんとなく見えてきそうに思うんだが。
 対象認識論理は、同一律と矛盾律に分裂している。
 対象認識理解は、時間と空間に分裂している。
 そして対象認識判断は、思惟主体と延長に分裂しているのである。






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最終更新日  2018年01月03日 09時11分58秒
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