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カテゴリ:哲学研究室
これまでオイラが、「出来る」を「出ー来る」と書いて来たのは、その召喚のための魔方陣を描くためである。
・・・がある、というのは享有物がある、ということ。 それはオイラの思惟がある、ということなんだが。 ・・・が出来る、ということの方は、享有物の枠のことのみ、を言っているんではない。 これはしかもオイラの感性が捉えた時間・空間の形式で出ー来たモノなんだが、未知の共有物を、あらかじめ含んでいる、んである。 これはハイデガー先生から学んだ知識に過ぎんが、この「出ー来る」コトを対象化認識のモノとしてきっちり論議したのは、アリストテレスであるらしい。 アリストテレスはこれを、ポイエシス、と呼んだ。思索ではなく、詩作のこと。 ポエチカ(詩学)は詩人のための書物でも詩集でもなく、ポイエシスを論じるための哲学書。 ロゴスに相反するミュトス(技芸)陣営に属するポイエシス(詩作)は、創作、とも言ったりする。 判断保留して佇んで(エポケーして)、自分から諸々の悪霊を追い払い、ポエトリイの場にいたる。 そこで出来た感性のモノであるそれを、詩人はナニカ別の目的で対象化して作品に仕立て、ポエムと呼んでいるわけである。 イデオロギーのもとに詩は書けない。詩はロゴス陣営のものではなくて、ミュトス陣営の感情のモノ。 オイラが中学生のころの選者に、社会主義詩人なんてへんな人も居たが、相性はよくなかった。伊藤新吉先生や寺山修司先生のようには、選んでもらえなかった記憶がある。 詩はイデオロギーで書くのではなくて、出ー来るモノである。自分から諸々の理念的な悪霊を追い払わないと、感情流浪は、出ー来ないのである。 このポイエシス(詩作)を召喚することで、享有物である時間・空間は、共有社会との接点を得ることが出ー来る。そのことを言いたいので、魔方陣を描いた。 共有社会の有職故実が、そこではじめて形成される、構想される、一つの像を形成する力(アインビルデゥングスクラフト)となる、のである。 ・・・である、ということと、・・・できる、ということは違う。 ・・・である、というのは享有対象の弁証(いいわけ)であるが、目的が共有の前に立ち塞がる。 ・・・できるというのも享有の弁証に見えるが、実は・・・できなかった、立ち塞がる自己の方を否定しての、弁証(いいわけ)なのである。 立ち塞がる自己を否定して、彼方に出でー来る、共有の場が立つ。 共有社会の有職故実が、そこではじめて形成される、構想される、のである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018年01月28日 14時22分40秒
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