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カテゴリ:哲学研究室
但しこの共有社会も、その基礎には時間・空間の形式を持っている。
つまりミュトス陣営に属する、感性のモロモロで出ー来ているということ。 ロゴスの基礎にはミュトスがあり、ミュトスの基礎にはロゴスが居る。 このウロボロスを認めない人は多いが、それは自分の現実を認めないに等しい。 感性のモロモロというのはもちろん、構想力のことである。時間・空間に分裂して認識できるのみの、直感の形式のことである。 これをカテゴリーとして対象化認識すれば実在の概念(アリストテレス)ともなるし、哲学的反省の材料として、魂の証(プラトン)、ともなる。 しかし断じて、美の概念、ではないのである。 感性の学エステチカを、まるで美術の殿堂のように扱ってエステチックサロンにしてしまう人々がいるが、なんか間違ってや居ませんか? 十全な美の概念やエンテレケイアを考えるのは自由だが、イコンが自分の心の中で導いているからといって、それが悪霊でない証拠は無い。 むしろ美を武器に人々を導く、多くのものは悪霊である。 共有社会がその基礎に持っているのは、個々人の享有する時間・空間の形式であって、美のイデーではないのである。 カントの論議は完璧に誤解された。 後継者のフィヒテは絶対精神という名の悪霊につかまり、シェリングは美の奴隷となった。 それは哲学を形而上学へと、破滅へと導こうとするイルミナティたちの陰謀が功を奏したということで、今日の共有世界は、彼らの陰謀の前に滅亡寸前なのである。 今日では、哲学といえばヘーゲル哲学のこと。 これはハイデガー先生も同じで、基礎的存在論(存在論の基礎破壊)やっても、その枠からは一歩も出ていない。 米国のプラグマチズムも、英国の記号論理学も、同じだと思う。 彼らはみんな、形而上学につかまってしまっている。 共有社会の、その基礎には、個々人の時間・空間の形式がある。 この命題が誤って理解、されてしまっているのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018年01月30日 09時33分18秒
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