民主主義でも、異質感情の者が、いじめ殺されるのは同じだ、というのがわかっていただけただろうか?
感情が勘定となってしまっているので、どうしてもそうなる。自分たちのマトリクスの基礎の形而上学が、無反省の未来志向である限り。
科学技術の事情も、まるで同じ。
目的を持った再現技術が、詐欺で目的を黒塗りされて予定立てられ、より精確な素材(自然物)を得るべく、クラス化企画される。
クラスの原料は感情なのだが、この心構え(テクネー)がアルス(技術)になってしまい、さらにアートに化けたので、一切の事情が見えなくなった。
しかもそのころ哲学者が全員奴隷にされて殺されたので、なおさらである。
感情がカチカチ山の勘定に化けた、その事情を語り継ぐのは、ローマ時代には、自分の家庭教師(というギリシャ人の奴隷)から無知の知を学んだ一握りのオチこぼれだけだった。
彼らはストアの列柱の間で、人ごみに紛れて、銭勘定に忙しい人々に、ソクラテスを真似て無意味なレクチャーをふっかけていた。
現代の事情と、良く似ているのである。
まっとうな奴隷制度社会であるとみんな思ってたローマ帝国も、銭勘定と法の運用とでバランスとってるように見えてたけど、結局滅んだ。
貴族階級の、金中毒による心身の弱体化というのが遠因らしい。
実は、もっと怖い、キリスト教という寄生虫がはびこっていた。それを問題にする人は少ないんだが。
感情を勘定にして、無反省の未来志向にする、その根幹には、一なる予定宗教があった。これを言う人は居ない。異質感情では、いじめ殺されるので。
科学技術とローマ帝国とキリスト教の関係については、もっと議論されていいはずなんだが。論議がいっぱいあるように見えて、実は、やってない。みんなキリスト教徒だから。
スキエンチア(のちのサイエンス)が生まれたのはローマ帝国で、しかも奴隷にして絶滅させた家庭教師たちに学んだ子弟たちが、学校を開いてからだった。
カネ目当てに拡張を続ける、帝国の軍事技術の改善は目覚しく、誰もがスキエンチアの力を認識していた。
キリスト教が生まれたのも、多神教だったローマ帝国の地下である。
奴隷労働者だけでなく、スコラ(要するに学校です)の教義にも、その予定論議が忍び寄っていた。
そして未知のイルミナティの組織からは、輝かしいスキエンチア(サイエンス)が産声を上げた。
しかもその輝かしい成果を上げ続けた大学の、女学頭ヒュパティア は、キリスト教徒の司祭たちによって惨殺されたとされている。ほとんど噂話しか残っていないということ。
この人は哲学者ではなく、黎明期の科学技術者であって、輝かしいイルミナティたちのグランドマスターの一人である。
知識もロクにないので深入りは避けるが、オイラたちに見えていないなにかが、ここにはある。行き詰っている現代の諸事情とも、良く似ているのである。
自分たちのマトリクスの基礎の形而上学が、無反省の未来志向である限り、イルミナティの目的も、キリスト教徒たちの予定も、見えない。
その片鱗は、これもヒュパティアに心酔していたというキリスト教徒たちによって示唆されているが。
「魂はその人の誕生以前から存在するという信念と、世界が永続するという信念」
陰謀論は宇宙人や隠れた支配組織を暴いていくが、そもそも無反省の未来志向である限り、なんにも見ていないに等しいのである。無責任な形而上学があるかぎり。
科学技術は、目的のある対象化認識技術、その再現工学なのである。全体把握も統計も帰納的データ選びも、必ず、「人の感情」と「その責任」で出ー来ている。人の誕生以前には感情なんて、ない。死んだ後にも感情なんて、残らない。
共有勘定である前に、それは個人感情なのである。ロゴスもミュトスも。
そのことをまず、自分の小さな過去から、解かるように、思い出さねばならない。