【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

フリーページ

2019年02月22日
XML
カテゴリ:哲学研究室

 前にも書いた記憶がうっすらあるが、何に書いたのかも中身も忘れた。年寄りのムダな繰り返しだ、と思っていただきたい。


 こころをば何にたとへん。という室生犀星の詩がある。
 こころは、あじさひの花。

 実にすばらしいモノの喩えだと思う。
 あじさいは一つの花ではなくて、無数のあつまりで出来た花。しかも、変幻自在に色を変える。
 そして極めつけは、花だと思っていたそれが花ではなくて、花を覆い隠す萼(がく)にすぎん、ということである。日本語読みで「うてな」。

 あじさいの花は、この目立つウテナの集まりの中に、個々に小さく隠されてある。

 こころはしかし、隠れていても、自分を隠しはしない。日本人みたいな自己隠蔽は、決してやらない。
 此処ー路、とか個々-露、という意味は、ウテナの集まりの中に隠れているのだ。


 こころは心の臓だ、という理念家の人もあるが、頭脳だと言う人も居て、身体の随所にちりばめられたウテナのなかに、探しあぐねているという雰囲気。
 こころは一であらねばならん、という理念的な思い込みがあって、それがこころの芯を捜し求めさせる、んだろう。


 この心の臓だとか頭脳だとかは、時空を持つ身体のことを言ってるんであって、その「もの」の、どこに、こころがあるのか(対象物を)探しあぐねているだけ。唯物論議ではない。
 一方、こころは身体と無縁な「精神」であって、光の使徒だ、という奴隷制度主義者の人たちもいる。
 精神が身体の奴隷になってる、と。


 オイラは室生犀星と同じ意見。
 こころは、個々に別々の変化ある様態を見せて、此処に(自分に)露な、アジサイの花ような「モノ」だと思う。
 精神だとか光だとかいった、理念にイメージされたこと聞いてたら、わけがわからんなる。
 しかしアジサイの花見てたら、それを「モノ」として対象立てて、論議できるんである。

 個々のモノの集まり、此処に(自分に)露なものだと。
 ウテナが見えている、花を隠した、集合の享有かつ共有のモノなんだと。

 この花を直に論じ、伝えようとしたものが、花伝書という、舞台「能」である。仕立てられたウテナで演じられる、あじさいの花である。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2019年02月22日 09時16分48秒
コメント(1) | コメントを書く


PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

カレンダー

プロフィール

mugibatake

mugibatake

コメント新着

 アンチオーバーロード@ Re:日本酒を飲んでコロナ撲滅(04/28) ムギバタケ先生の「対象認識について(推…
 アンチオーバーロード@ Re:庭の形而上額 2ー4 常識の庭4(02/09)  50年前に出会ったときは近くて遠い存在…
 山科2008@ Re:こころ(02/22) お邪魔します。 哲学入門は繰り返し読んで…
 mugibatake@ Re[1]:新・ユダヤ人 3-5-5(05/10) 山科2008さんへ ありがとうございます。励…
 山科2008@ Re:新・ユダヤ人 3-5-5(05/10) > 拉致があかず (変換ミス)  …
 cozycoach@ Re:米国で(02/02) 進化について詳細です。 メインの質問は「…

日記/記事の投稿

お気に入りブログ

無題 New! マンネンコゾウさん

源氏物語〔9帖 葵 11… New! Photo USMさん

余多歩き くれどさん
一語楽天・美は乱調… cozycoachさん

カテゴリ

バックナンバー


© Rakuten Group, Inc.