諸族が逃げ込んで巨大化しすぎたハッチ帝国は、やはり飢饉には、超弱かった。
西から来た、海の民連合軍の猛攻で、ハッチ帝国があっさり滅亡。
その後、この、名の無い神の概念が逃れ出て、受け継がれて、エジプトを出たセト信仰の人々と合流したわけである。
どことなく、おかしいが。
西洋の学者連中は、ハッチという帝国の滅亡などどうでもよくて、ゴシェンから逃げた一門の人々だけが気になったようだ。
それにエジプトについての見解も、実は、おかしな点が、いっぱいある。
ゴシェンという、エジプトの大都市を根城にしていたエジプト人の王子が失脚した。
そのことがきっかけで奴隷が逃げた?。
モーゼと呼ばれる王子が、一門ともどもエジプトを逃れ出た。
奴隷が一緒に多数出たのが、出エジプトということになってる。
しかし、そんな記録は、エジプトには、「ない」のである。
あるのは、海の民との大戦争。勝利、そして、戦勝奴隷に什器も与えて食わせたこと。
このモーゼという名はしかも、エジプトの王族には、ありふれた名なのである。
ラ・モーセだとかいうのは、いっぱいいる。
ラムセスも、ラー・モーセス。
モーゼは、申し子、というような意味らしい。
エジプトも、当時は未だ、奴隷制国家ではないと思う。
王子の一人が奴隷を率いて逃げても、去るものは追わず、だった?
違うと思う。
奴隷のような下層労働者は、確かにいたし、戦勝奴隷も、常にいた。
不足すれば他国を攻めて確保してた。
しかしシナイからカデシュ界隈は、当時はエジプト領土だった。
エジプトは強国だったのである。
それにファラオ自ら、彼ら最下層の労働者から、奴隷の食い物にまで、気を使い倒していた。
彼ら下層の労働者の生存権に、なんとファラオが責任を持ってた。
王族というのは、奴隷をも食わす義務があったのだ。
だからこれは、国の制度としての奴隷ではないし、契約奴隷でもない。
飢饉が起こっても末端のすべての人が飢えずに食えるように、食糧確保や貯蔵を、国家の最重要課題としていた。
自給率が先進国中最低で、せっせと農地破壊までやってる、今の日本とは大違い。
ラムセスは特に貧困対策にも頭を悩ませ、困窮という文字を、エジプト語から追放しようとまでしていた。
飢饉の迫る時代に、彼がいっぱい土木工事や神殿建設をやったのは、最下層貧民に食わせるのが主目的だったのである。
これは、ラムセス大王が、エジプト史上最大最高のファラオとなった理由でもある。
健在であることを、国民の前で毎年踊って見せて証明し、すべての国民から支持されていた。
農地開墾は、毎年、ナイルの氾濫がやってくれた。
モーゼは、この大王から少しあとの、ナイルの氾濫が怪しげになった、天候神が暴れた時代のように思える。
モーゼ失脚の理由は不明だが、ワラなしで日干し煉瓦を作れと、ゴシェンの奴隷が言われたことなどにヒントがある。
偽装工事、偽装統計、偽装調達などが横行し、社会の秩序が乱れていた?。
いや、ワラなしでの日干し煉瓦は、偽装工事どころか、破壊工作なのである。
天候不順がやってきて、奴隷や一神教を扱う連中がクーデターを画策していた。?
ナゾ融きをしていこう。
大きなナゾがいくつかある。
1:ゴシェンは、将軍を出す、セト神と王族の軍事都市である。それがいつの間に、奴隷の巣窟となったのか。
2:モーゼに率いられた奴隷たちは、どうやって紅海を渡れたのか。
3:エジプトが、彼らを阻止しなかったというのは、なぜか。
ヒントは、カデシュの戦いにあるのである。
ユダ族自称の学者たちが、先祖を隠蔽するためにいろんな偽装工作をやった。
しかしどうしてもムリが生じる。
そのムリが、疑問となって残ってしまう。