ミシュナー集ができたのは、確かに古い。
バビロン虜囚の直後、紀元前500年頃のことだろう。
しかしこの、ユダヤ教独特の歴史観が生まれたのは、まちがいなくヨセフスの歴史書のあとである。
聖書とトーラができたのはもっとあとで、ヤムニア会議のあと?。
タルムードが出来たのは、もっともっと後?。
確証はないが、キリスト教との関係は、わかる。
物語にクリスチャンが出てきて、ここに見えているから。
キリスト教が古くて、ユダヤ教のほうが、ずっとずっと新しい。
そもそも、ヨセフスの本についても、70年頃のものがのこっとるというわけではなくて、これも、ずっとずっと後の時代のものなんである。
「ユダヤ古代誌の現存するギリシア語写本の中で最も古いのものとして、バチカン図書館に所蔵されているパラティヌスコデックスがある。9世紀から10世紀のものとされており、第11巻から第17巻までの部分が含まれるが、破損箇所が多く判読困難な部分が多い[42]。完全なギリシア語の写本としては11世紀のものがあり、それはミラノのアンブロジアーナ図書館でAmbrosianus 370 (アンブロシウス写本、F 128) として保管されている[43]。第11巻から第20巻までの後半部分が含まれており、文献学者らは他の写本との一致性などからこのアンブロシウス写本を信頼性の高い写本であると考えている」
ギリシャ語の原典は、なんと9世紀。
「最も初期の翻訳として、5世紀始めに翻訳されたラテン語版がある」
そう。
やはり歴史書は、5世紀ものが最古、なんである。タルムードの時代。
それもギリシャ語ではなくて、ラテン語のもの。
たぶん、翻訳されたんじゃなくて、こっちが先。
紀元前ではなくて、紀元後の5世紀。
しかも・・・ラテン語。
その時代に書かれたのかどうかはわからんが、歴史として教会関係者たちの目に留まるようになったのが、5世紀?。
違うんである。
膨大な古文書をもとに、最初に書かれたのがたぶん、ラテン語。5世紀。
それがギリシャ語に翻訳されて、学者や聖職者たちのものとなっていった?。
これに影響されてタルムードが完成したのかもしれんし、逆かもしれん。
歴史魔術書、タルムード、聖書は一体の物。
なんせ世界観をも取り込んでしまう魔術だから。
この魔術を駆使してあるのが、実は、ヨセフスの歴史書なんである。
「さて、わたしが今回この新しい作品を書こうと志したのは、それが有益なものとしてギリシア語圏社会から好意的に迎えられると信じたからであるが、その根拠は、それがヘブル人の文書から翻訳された、わたしたちユダヤ人の古代史の全部と統治原理に関するいっさいを包含しているためである。(『ユダヤ古代誌』第I巻序文)[10] 」
「わたしたちユダヤ人の古代史の全部と統治原理」、とハッキリ述べてある。
こんなことが言えるのは、つまりタルムードが完成して、のちのこと。
まさに、これは魔術書であるように思えてくる。
オイラの素人説だが。
ヨセフスの歴史書には、もしかしたらモトのものがあるんかもしれん。
けど、現在流布しているそれは、タルムードが完成した、5世紀以降のものなんである。
それも、ラテン語からギリシャ語に翻訳されたもの。
キリスト教の新旧の契約聖書をもとに、ユダヤ教の聖書の完成やタルムードなどと同時期に作られた、魔術書なんじゃないの?
ミシュナー、歴史書、トーラ、聖書、の順に世に出たんじゃない。
そうではなくて、古いミシュナー以外は、同時に全部一斉に世に出たのかもしれん、ということ。
それも、ここに作者が書いてあるような、ギリシャ語を解する人の娯楽のために、出たんじゃない。
政治的意図で出された陰謀文書。
ユダヤ人のために?
そんな連中、未だおらんよ。おらんけど、居るとして。
ローマ人で、ギリシャ語が読めるような人は、ほとんど王侯貴族だけだった。
黄表紙好きな江戸の人とは違う。
最初は、キリスト教徒のものだった?。
いや、対外的なものも含めた、政治的な陰謀文書だったんだろう。
その後、新しく出来たユダヤ人という種族に自覚を持たせ、キリスト教徒のゴイたちと聖別するために、主としてユダヤ人司祭たちに対して、のちに作られなおして、世に出されたのが9世紀。
彼らユダヤ人司祭たちはユダヤ教の聖職者であっても、未だ、アラム語を知らないからである。
それらが彼らの知識となって出回るのは、シリアや北アフリカ界隈に、ユダヤ人がいっぱい展開してのち。
彼らがもしビザンチンの小領主たちであったとしても、もともとビザンチン方面の人では無い。
全員、ローマ人。
ギリシャ語も全員が知っているわけではないから、5世紀の最初はラテン語で出された。
そして、その出所の隠蔽偽装工作のために、古い時代の学問用語の、ギリシャ語のものが、後から作られ配布された。
これは案外、早く出来てたかもしれん。
610年ごろにはすでに、出回ってた?。
アラム語なんて、彼らがそれ以降熱心に研究しないことには、存在すら知られてなかった。
ましてやアラビア語なんて。