ユダヤ人というのが西欧の表社会に、どっと出てくるのは、これ以降である。
十字軍の時代になると、ユダヤ人は知らぬ間に増えてた。
そしてこの、十字軍とユダヤ人の関係がまた、泥沼なのである。
ウソばっかり、ということ。
十字軍が、聖戦に名を借りたゴロツキたちの金稼ぎであったことはもう、誰でも知っている。
ローマ帝国の皇帝-1118年がローマ教皇に援軍要請したことが発端らしいが、やってきたのは神聖な教徒たちの援軍ではなく、ゴロツキ集団だった。
送り出す方も、ガス抜きのつもりで十字軍を出したのである?。
異教徒への憎悪と、稼げることをせんど炊きつけて、送り出してた。
聖地奪還のための宗教軍隊であった、なんていう人は、頭おかしいんじゃないの?
蜜の流れるエルサレムというのに乗せられた、頭おかしい王侯も居たようだ。
怪しげな扇動僧侶も、人さらい達もいた。
一神教の民族純化と、支配欲に駆られる、西洋の王侯貴族たち。
つまり偽ユダヤ人には、明確な狙いと計算があったのだと思う。
ユダヤ人という異教徒種族がいつのまにか増えすぎてたのと、底辺を富ましてまっとうな内需産業やったら稼ぎが増えることを知らないバカたちばかりなので、宮廷ユダヤ人も稼ぎが減ってブウブウ言ってた。
庶民の異教徒種族を出汁に使っての、領土拡大をも狙ったんだろう。
高利貸しのユダヤ人という悪者を仕立てて、世間の表に出す。(それによって、自分たちの悪行は隠れる)
さらに彼らを住み難くさせて、東方へ領地を与えて移動させる。(領土拡大)
反カトリックの異端者たちを、十字軍名目で消す。(自分たちの手は汚れない)
そして極めつけは。
領土内のゴロツキと、領地を持たない偽ユダヤ人の、抹殺だったのだと思う。(宮廷ユダヤ人の儲け確保、奴隷も増えるし)
この一連の、壮大な陰謀が、十字軍だと思う。
一方的な都合で攻められたイスラム側は、本当の聖戦となった。
戦争は延々と続いたので、本物のユダヤ人は大いに儲かった。
第三回十字軍などでは、イスラムの英雄、サラディンを産んだ。
最後は、わけがわからなくなってた。
大トルコ戦争まで続いた、とする説も。
アルビジョア十字軍、羊飼い十字軍、なんてのもある。
キャンペーンというより、ぜんぶ陰謀。
だから今でも・・・十字軍だと言い出せば、陰謀だと、わかる。
1096年、ライン川沿いで、扇動に乗ったゴロツキ民衆たちが、まず壮行会をやった。
ユダヤ人居留地を次々襲って、殺戮と略奪をやったらしいという。
が、これが実に怪しい行動。
最初から方向違うのに、当局の規制もなし。
ユダヤ人と言うのは宮廷ユダヤ人のこと。領主階級。
しかしユダヤ人居留地にいたのは領主たちではなくて、庶民相手の金融業者たちだった。
宮廷ユダヤ人がやられたんじゃなくて、小金貸したち、つまり新手の偽ユダヤ人民衆が血祭りにあげられたんである。
マインツやケルン、ヂュッセルドルフ市などの連中が、次々と襲われたという。
皆殺しによる金品強奪、借金帳消し狙い。
つまり当局黙認の、集団強盗。
ユダヤ人の利権を犯してた、金融業者、武器商人が軒並みやられた。
彼ら十字軍ゴロツキ隊は、援軍に行ったはずのローマ帝国の領内も、この調子で荒らしまわった。
最後は結局トルコで負けて、全員奴隷に落ちたようだ。
これはユダヤ人迫害なんぞじゃない。
当局側の巨大強盗集団が組織され、出兵装備調達のために、異教徒の多い地域を選んで暴れただけ、なのである。
たぶん、扇動してた当局側のやつらが、いた。
本隊の方は無事にエルサレムを占領して、王国を建設する(1098年)。
だが、生き残りの住民をシナゴーグに閉じ込め、それに火をかけて焼き殺したという。
ユダヤ教を持つ現地人は、ユダヤ人だ、と思っていたのだろうか?
とにかく庶民の異教徒は皆殺しの命令が出てたんだろう。
現地には特に、ユダヤ人など、彼らの歴史書の上でもいないはず。
ローマ帝国に追放されて、離散してて、いない。
パレスチナ人が居ただけだろ?
しかしこれらユダヤ人皆殺しの噂は、わざと、広く流布された。
だから怪しい。
確かにこれが、ユダヤ教を持つイデッシュ人たちへの、東方への集団移動を誘発したのは、事実だろう。
そしてそれが、目的の一つであった臭いのである。
しかもこれで、宮廷ユダヤ人、つまり本物は、地下にもぐることが出来た。
イディッシュ人たちがユダヤ人に摩り替わることで、本物の偽ユダヤ人も宮廷ユダヤ人も、世間からも見えなくなっていった。
その後も、多くの偽ユダヤ人のイディッシュ人や、ユダヤ人が、以後、東欧諸国へと移動していく、そのきっかけともなったのである?。
偽ユダヤ人?
偽ユダヤ人は、もともと二種類あるのである。
キリスト教徒の王侯貴族と、そしてレヴィのもとに組織化されていく庶民の異教徒たちと。
後の時代には、この庶民の異教徒たちがユダヤ教にまとめられて、一般的にユダヤ人と呼ばれるようになっていったのである。
「ポーランドは1264年にカリシュ市で「カリシュの法令」と呼ばれる法律を発布、ユダヤ人の権利と安全を制度的に保障した」
これは後の話。
しかし、カネのある領主階級の移民、つまり本物のユダヤ人来訪はウチが喜んで引き受けまっせ、と言っただけ。
庶民の難民引き受けなんて、約束してない。
ユダヤ人虐殺を言いたがる人が、よく採り上げるのが、アルビジョワ十字軍による、カタリ派大虐殺である。
1209年 - 1215年、さらにこの後も延々と続く、極めて大規模なものらしい。
ユダヤ人は何の関係も無い。
なのに、ユダヤ問題に必ず出てくるのである。
異教徒をすべて、ユダヤ人だと言いたがっているのだ。
ぜーんぜん違うのに。
自由を謳歌する南フランスの連中が、カトリックにしっぽを振らない。
それで、そこにいたカタリ派を理由に、地域を攻めた。
そして、全員皆殺しにした。
文字通り大虐殺で、どうやらカトリック派たちも、全員いっしょに殺された
二元論者のカタリ派の教義抹殺が目的だった、と言われるが、その教義は残っていない。
ここにはしかも、ユダヤ人が、いなかった。
領主はカトリックではないので、ユダヤ人なんて、いない。
奴隷もいなかったのかも知れない自由な土地だったらしい。
だから皆殺し。
十字マークの支配するカトリックの恐ろしさを示す、いい例である。
なのに、それを言わずに、無関係のユダヤ人迫害にとって付けて言う。
ユダヤ人は一切関係ない、て。