常に須彌山壇とともに、オイラたち膠着語を使う種族は苦しい旅をしてきた。
領土を得たら、必ず真っ先に庭を立て、須彌山壇を据えた。
飛鳥を発掘すれば、面白い過去が出てくる。
最古の層に百済風の方形プールの庭園がある。
インド文化むき出しの。
それを破壊して、上層に新羅風の、池底の未知の機構や州浜を持つ池と庭園が立てられている。
新羅風が古い場合もあるみたい。
そして最後に乗るのが、須彌山壇を持ち、柴挿しをしたと思われる日本風の庭園である。
三種類の庭園があり、その最後のものがオイラたち日本人の庭園。
オイラたちのご先祖は、須彌山壇とともに長い旅をして、最後にこの地に至った。
天幕を張って領域をしつらえ、須彌山壇を据え、柴挿しをした。
後の時代には優雅に、流れで曲水の宴も催した。
それの支点が、今や石灯籠に姿を変えて、片隅に追いやられてきているのだ。
支点は始点でもあり、視点でもある。
それが追いやられている。
古代には道もロクにないので、あの山車(ダシ)が荷物運搬に機能したとは考えがたい。
しかし、お祭りの時にはそれに人々が乗り、過去の物語が演じられる。
庭の本来の機能である、捌きと誓約の権能を語り伝える。
(ス)メ・ルの、妙高なる砂石の山の権能を。
スメラ・ミグド(祭祀主)を頂いて。
メ・ル(神々の力・人々)は、エジプトでも文化的に失われたままである。
幾世代をも超えて厳然と、立ち続けた。
中王国のファラオがすでに、その権能を見失っていた。
ギリシャ文化でピラミッドと呼ばれている、あれである。
上下ケムト国では、メル(砂石の山)と呼ばれていた。
ピラミッドと呼ばれ始めるのは、ずっと後のギリシャ人の時代。
クレオパトラなんて、ギリシャ人だよ。
規模が超巨大なだけで、たぶん、同じものだろうと思う。
種族の旅と誓約の場を担う、未知の権能の乗り物。
現代のsf風に解釈すれば、これは巨大宇宙船となる。
支点だけに拘って、庭が見えていないので、そうなってしまうのだろうが。
庭抜きに須彌山壇を語るのは無謀だし、旅や庭を抜きに語るのもまた無謀。
しんどいもの、旅、楽しいもの、ビール。(シュメールの諺)
それらの過去を箱庭化するのは勝手だろうが、それはオイラたちが過去の時空を見失っているから起きたことで。