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2020年05月25日
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カテゴリ:哲学研究室
庭のみつめは露なものなのに。
 そのくせ陰険で。
 法みたいな権能ももつのに、弁証できないのである。
 権能で権能は、言い訳できない。

 つまり弁証法使うと、みつめてくるモーメントが逆立ちしてしまって、それこそ話にならなくなる。
 反省できない人には、もともと理解できない話だろうし、そんな傾向の人が賢いやつには多いのだが。
 庭の形而上学は必然的に、この「庭のみつめ」を語ろうとして騙ることになってしまうのである。

 そもそも形而上学という概念が、アリストテレスの書物の書き換えから来ている。
 そのことは、もう過去に何度も哲学的アプローチをして、確かめたつもり。
 タ・メ・タ・タ・フィシカ(自然学のメ)という自然学批判の目的で書かれた書物は、後の時代の新プラトン主義者やスコラの一部の学者たちソフィストたちによって、タ・メタ・フィシカ(超越・自然学)と書き換えられて、化けてしまった。
 自然学批判書は、賢者の石への手引書に、仕立てられ直された、のである。

 庭のみつめは、唯一の神からの調和のまなざしに摩り替えられ、予定立てられた。
 史観という名のマトリクスが、思惟の跡から立てられて。
 もともと、人の日常を共有形成する感性の形式であったものがクラス化された。
 庭のモロモロを容れるマトリクスとされたのだ。
 それが、超越者であり存在者の存在である唯一の神に由来する、と説かれた。

 ただ、アリストテレス先生はもともと、唯一の神なんぞを認めないヘラス人。
 エンテレケイア(主人・自動化・体制)の概念を定義しても、それが実在する、なんて思ってない。
 二元論者とされているが、それも一元論者が、自分と区別して言うだけのこと。
 なので、みつめをいくら書き換えても、一つの論議にまとめることができやしないのである。
 プラトンを書き換えた新プラトニズムが主張するような、天上のイデアへの一元論とはならない。
 この一元論者が、そもそもソフィストであって哲学者(フィロソフォス)ではないし。
 二元論というのも、哲学やってる彼と敵対するソフィストたちが、相手に対して言ってるだけ。

 ソフィスト(知恵者)の自然学者たちによる市政の軽薄な論議を批判して、持ち出したプラトンのイデア教説は、これも意図的に書き換えられてた。
 そうやってプラトン主義ができてた。
 形而上学は、だから、すべてを独自の一元論的なマトリクス史観で包み込み、騙ること、なのである。

 それには賢者の石という、特権キイが必要となる。
 そもそも、それがなければ全体像が理解できない。
 神や、宇宙や、心理や社会について論議する、いわば絶対にある唯一の神に関する学問。
 存在者の存在について騙る。
 これが常識として形而上学にされているのである。

 それを将来の共有の庭に仕立てて、錬金術をやる自然学を基礎とし、究極のデーターベースやシステム理解のキーとなる賢者の石を志向する、将来の学問が構想された。
 わが国の辞書には、これが哲学だとされてしまって、ちゃんと、そう書かれている。
 みんな、わからんフッサール読みすぎた?。
 オイラも無駄な時間を過ごした。
 哲学の目的は、将来の絶対の学問権威である形而上学を立てることだと。
 
 そうなるのに、さらに二人の人物が関わったのは間違いないと思う。
 ライプニッツという大天才が、宮廷の金庫番という欲望の庭で奏で。
 二進法や微分積分、データベースやモナドロジーという環境概念を仕立て上げた。
 次にヘーゲルという、大哲学者にしてイルミナティのグランドマスターが出て。
 彼が虚無主義のこれを、将来の絶対の学問に仕上げた。

 すべてに陰険な、ウソ八百の史観が立ったと言える。
 これがあるので、西洋哲学を騙ろうとすれば、哲学史を騙ることになる。
 しかもそれしかなくなる、のである。

 ライプニッツのとんでもない数学的業績や権威や、その、人とは思えない異様な賢さなどは、一切否定するつもりはない。
 オイラ、微分は今でもわからない。
 その形而上学体系も、実は齟齬がなくて、批判しがたい。

 ハイデガー先生など、これに正面から突撃して、裏返しに串刺しにしてひん剥いたが。 自分の乗ってた馬のほうが死んだ。
 ロシナンテならぬ、哲学という名の馬が。
 それがオイラがいつも持ち出す、馬鹿の一つ覚えみたいな、あの言葉。
 ヴァールムイスト ウイバーハウプト ザイエンデス ニヒト フィアミール ニヒトス。
 (なぜゆえに存在者の存在なのか、否、むしろ無ではないのか)

 ただ、カント先生も、先輩にあたるライプニッツについては、形而上学同様、ロクに騙らなかった。
 その理由は実にハッキリしてて、明晰判明なのである。
 形而上学は時間・空間のモーメントを、テンソルにしてしまって誤魔化すので、環境論の統計学や熱力学に似ている。
 キイが見えないだけの、庭の三つ目となるしかない。
 哲学ではない、からである。





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最終更新日  2020年05月25日 19時12分05秒
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