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2020年06月05日
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カテゴリ:哲学研究室
さて、まとめ。
 
 庭は、中性のナニカetwasではなくて。
 人に固有の感性的な権能の時空であって。
  誰にもよくわかっているはずのもの。
 具体的には、身体の外部にまで広がった、身体的「認識の領域」のこと。
 別名を、感性の時空領域ともいえる。
 方途不明なみつめがくるので、対象の側にあるのか、オイラの側にあるのかもはっきりせん。
 デカルトの、ものとこころの難問題、主体客体の論議を破綻して含んでいるということ。

 ・・・である、と人が対象認識するさいには必ず立っている、判断の場のこと。
 それが庭だ。
 但しそこでは経験的なモノのみが捌かれるのではないのだ。
 先験的な特権だけで裁かれる、のでもない。
 むしろ日常的に、中庸を成り立たせる悪霊捌きの場に見える。
 んであって、これは実質判断をしないためなのだ。
 主体として、立たない。
 客体としても立たない。
 庭自体は判断しない。

 ロゴスみたいに喋ったり、ミュトスみたいに歌ってくれたりもしない。
 感性で出来てるくせに、誓約や懺悔が立たないと、みえないというのが、それ(主体・客体がハッキリせん)。
 単に悪霊を掃き捨てるだけ。(権能にみえるだけ)
 清めるだけ。

 祓いたまえ清めたまえ。
 だから他人の庭は、グロテスクに見えたりもする。
 唯物論で言うなら、あなたの家の周りや子供部屋のベッド周りに広がる庭。
 あるいは仕切りや屋敷に囲われた、唯物(ただもの)の庭のことです。

 家(エ)の概念が複雑怪奇なように、庭(エメサル)の概念も複雑怪奇。
 とくにこっちは、言語(エ・メ)のみならず、女(サル)という不可解な生き物が膠着して絡んでる。
 日常の営みとして。
 オイラたちには、コートやヤードではない、坪庭という文化の置く、有職故実のもろもろとなる。


 悪魔的理念目的があって、あるいは隠した虚無主義をもって。
 これを騙ろうとするのが形而上学、である。
 庭固有の権能みたいなもんを無視し、そこに悪魔的な別の時空を持ち込もうとするから、庭を見せようとするこの試み(形而上学)は、ダメなものであるとハッキリ言える。
 庭を露にするんじゃなくて、覆い隠す。
 庭と同様の時空が持ち込まれるのだが。
 逆立ちしてたり(弁証法)、モーメントがテンソルになってたり(量子力学)の、悪魔的な時空。

 これを反省すれば、それは存在論の生起に関る史観病なのである。
 そのことがわかってくるはず。
 思考停止するんじゃなくて、判断中止(エポケー)して、哲学的に佇めば。
 これも最近ごまかす人が多い。
 ユダヤ的思考法なんだろうと思うので注意喚起しておきたい。
 いつのまにか、判断停止が思考停止にされようとしているのだ。

 思考というのは(目的や方途を)わかるためにやること。
 方途をわからんするためにやる、んではない。
 だから、数学的に分かったり、哲学的に解ったりするための、これも庭に続く、人の命の持つ権能。
 中性のもんじゃない。
 理念やイメージは、ポシティヴなそれが持ち込まれると、思考に対して逆に働くのである。
 思考を停止させるために、持ち込まれる。

 哲学がやる判断停止は、庭のみつめに直面させるのが目的。
 これも産婆術。
 解かるための契機を、過去のパトスを、思い出させるためのもの。
 目先の、今でしょ今でしょという、クラスのオートメーション進行を停止させる。
 そのクラス解体させて、庭のみつめへと導く。
 思考停止は逆に、オートメーションに誘い、奴隷的にそのクラスをゴーレムにする。
 家畜にして利用することだ。

 だから形而上学の庭というのは、今日のものとなった。
 奴隷的にヤード化された、現実のガルテンのことになった。
 ガルテン自体が、でっかい御殿の概念であることでわかるように、奴隷に見せて思考停止させるためのものなのである。
 ヒエー、スゲエーと驚嘆させて。

 エディンの物語自体が、もともと、そうなんだろうと思う。
 ただし神話として提供されるので、どうしてもメタモルフォーゼ(変容)が見えてしまう。
 この変容を、中性的変容だなどと言い出すやつが出てくる。
 しかし狙いは、見せないために導入されている論議だ、ということ。

 この、庭を見せない庭の形而上学というのは、今日では数多いのである。
 法学、政治学、経済学、社会学、統計学、ざっと見渡しても、ぜんぶそうだと思う。
 文学、歴史記述学(ヒストーリエ)、考古学、生態学、などは、庭が見えているので。
 そいつらが科学であると自己主張しないかぎり、つまり形而上学的史観を隠さない限り、庭の形而上学だからダメ、とはいえんと思える。
 しかし、はっきり言うべきかも。
 史観の立つ庭を隠した形而上学などは、ぜんぶダメだと。
 陰謀だからだ。
 定義命題に押し込んで隠し、しかもそれに拘って形而上学にする。
 これは政府がやる黒塗り詐欺みたいなもんだと思うんだが。

 カント先生は、心理学、宇宙論、神学を形而上学として採り上げ、これらを哲学とは明確に区別した。
 これらは、捌く自らの立つ場の庭を隠すからだ。
 哲学が排除される。
 のみならず、自らが形而上学であることをすら隠している。
 庭と形而上学とのややこしい関係は、庭がきれいに見えていないのでむつかしいし、万事に杜撰なオイラが誤っていないとも、限らんのだが。

 庭は、中性のナニカetwasではなくて。
 人に固有の、感性的な権能の明確な時空。
  誰にも、よくわかっているはずのもの。
 ただし有限(幽玄)。

 その庭を隠して形而上学が立てられ、哲学が殺されて、日常が、誰にもわからんものばかりになった。
 虚無の、庭のない権力意思が蔓延して。
 アッシリア出のタンナーの、一意の支配を貫こうとする、虚無理念のみがのさばった。
 そのゲシックを、庭のうちにあらわに暴いてみせたい、というのがオイラの素朴な試みだったんだが。
 完成してるとはいいがたい杜撰さで終わる。
 しかし(共有への)みつめの前に、ふと立ち止まる、素朴な契機にはしていただきたい。





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最終更新日  2020年06月05日 12時08分05秒
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