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カテゴリ:哲学研究室
過去の自分、という庭がある。
それがきれいに見えなくなった人が陥って、ミツメが起こす過剰な自己免疫が、ノイローゼなんだと思う。 被害妄想に似ている。 電波ピピピで攻撃されている、というあれが被害妄想かもしれん。 オイラ最近電磁波攻撃がひどいな、と感じる。 特に夜間。 昼間突発的にくるピー、ガーは、おいらの耳の疾患だろう。 夜間のソレは一部昼間も継続してて、虫の音に似てたり持続する低い羽音に似てたりする。 じつはコレ妄想ではないかもしれん。 大使館などへの電磁波攻撃で実際に複数の死者も報告されているし、オイラの病気もコレが根本原因かもしれんのだが。 共有社会の庭がきれいにみえんし、みんな組織で隠すので、みんなわからん、というしかなくなっている。 分母がわからん、きれいにみえてないと、被害妄想がやってくるしかないのだ。 やってきて、やはり免疫力で自分を攻撃して殺す。 だから庭がみえとらんということは実に危険な状況なんだが。 有用性追求で虚無主義真っ只中の常識社会は、それも一切認識しちょらん。 普段は年間何人程度死んでて、それの中でコロナの影響が過去数年何%あったのか、今度の新しいコロナではどうなのか、が問題なんだ。 だが、医療組織も行政組織も報道機関も、それら分母を黒塗りしたまま、どこかに言われたアジェンダだけを押し付けてくる。 分母全体の庭を見ることが一番大事なんだが、特権分子ばかりをみせびらかしちょる。 オイラが一人、孤立してギャーギャー言ってるだけに思えてしまう。 感受性と反省の問題が、この、わからん庭の謎、の手がかりではある。 庭は、人の感受性や反省を、みつめ、というかたちで持つからだ。 だから精神も、実は感受性や反省を持つんだと言っていい。 感受性や反省のない精神なんて、抜け殻だからだ。 ロボットに例えられること多いが、ロボットも今や身体を持つ。 精神も、人のものである。 ロボットも持つかもしれんが、一寸の虫でも、草木でも持つ。 ともにオイラ、という分母の中の、「有限な生き物」なんだから。 庭に、精神がみつめとして宿り、ではなくて。 庭が、もとのもの。 統計を取る際であれば、その分母なのだ。 なので、精神などという分子は、その先験性や経験性を司る、といった特殊ごとの言明に過ぎないと考えるべきだろう。 庭を支配する特権を、与えるべきではないのである。 庭が暗くて、きれいにみえとらん。 なので、理性や悟性といった特定の権能を、形而上に命題提示してあるだけ。 特権を与えてるようにみえるが。 それは仮の形而上のモノとするための方便。 つまりウソだってことだ。 精神が理性を司どっとる、んではないんだと思う。 虚無主義で偶像立てしとる、だけ。 悟性の権能も同様であると思う。 ミツメが起こす、過剰な自己免疫ばかり見て特権だけ探っても仕方がなかろう。 そうではなく、そこに必ず、人の生命の庭があるはず。 (庭の)みつめがあるんだから、庭がある。 そしてこの(庭の)みつめは、人の精神活動や肉体活動を可能にしている特権ではないのだ。 特殊な時熟のときや、充実した空間の様ではない。 むしろ、ここにある、という日常形成のありさま。 それが感性を持つ、ということ。 みつめがある。 ノイローゼ起こす病気や、安心立命といった特殊な時熟の時ではなく。 無知なままで生まれてきた、ここにある重要な「感受性や反省とのつながり部分」だ、と考えるべきだと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年06月29日 11時12分03秒
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