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2020年07月07日
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カテゴリ:哲学研究室
さて、個々人の感性責任というのは。
 自分で自分の身体を持つ、ということだ。
 自分用にキープするということ。

 機能不全という不遇の身体を得て、この世に生まれてきた子たちも、生まれつきその自分用の身体責任を負わざるを得ない。
 生まれてきた彼らには責任がない、といって誤魔化すのが常識だが。
 コレは自己責任回避のウソ。
 自分で自分の感性キープするのが責任なので、それは誤魔化しだ、とわかるはず。
 あらゆるものが神の祝福を受けている、という宗教者の言い方も通らないのである。
 むしろそんな特権主義だと、不遇な本人からしたら、呪いを受けているように感じてしまうはずだ。

 責任を負う、という、この表現にも、なんか違和感を感じるので、責任から逃れようとするのだろう。
 罪と罰との関係を、どうしても考えてしまうからだ。
 だが、それは単に、みつめへのアプローチが逆立ちしてるから、だと思う。

 特権としてみるから、罪や罰が出てくる。
 責任は、罪や罰とは無関係、なのである。
 恩寵や祝福や光といった宗教用語とも無関係。
 単に「自分の身体を自分で生きる」、ということだから。
 罪と罰の奴隷主義は生殺権を法で握るので、それをさせないために罪や罰を押し付ける。
 これは悪魔を考えれば、わかりやすい。

 極端な悪魔連中、優生学論者の731部隊のエリートたちを、かんがえてみてください。
 彼らは、不遇な身体を持つ人を、まるで罪であるかのように言い、罰を与えようと扱ってきた。
 現実に、マルタは大勢、生体実験で拷問同然に殺された。
 戦後も、彼らが主導して優生保護法を作って、人権無視で大勢の人に強制で不妊手術を施した。
 彼ら自身は、医療に従事する特権者として、害毒をばらまきながら君臨したのだ。
 これはもちろん、特権者である自分の犯した罪や罰を、他人に転嫁させて、さらに詐欺に利用して稼いでいただけ、なんだが。
 もともと感性責任ということを、時間・空間的に逆立ちさせて捉えてるから、そうなった、それができたんだろうと思う。

 世間は、彼らエリートに教えられる立場なので、世間でも常識的に、これをやってしまっている。
 罪と罰の思想を導入している。
 常識が間違ってるから、犯罪者を裁けないどころか、優遇してしまう。
 ソーネチカはマリア様じゃない。

 自分が、自分に対して時間・空間を庭として構えて、「ある」はずのものが責任。
 建前ではなくて、現実を反復する、責任。
 世間に対して、じゃなくて、自分に対して。
 共有の罪も罰も、ありゃーせんのである。
 三つ目特権とも無縁。
 これを、オイラという(庭の)共有が、存在者の存在という(庭の)共有に対して持っている責任だと、常時、テンポラルに責任転嫁しているのだ。
 特権主義やっている。
 あなたもオイラもやっている。
 (ハイデガー先生の言ってた、日常の怠落問題と、ちょろっと抵触すると思う。)

 責任というのは、必ず”自分の感性”なんだ。
 それが、見えん庭のものに、なってしまっている。
 共有化されていて、そのくせ全体が見えん。
 UFOみたいなもんだ。
 コロナ問題みたいに。(ここでいっとるのは太陽のことだよ。)
 その感性責任を、自分が神の(あるいは自然の)奴隷となることで、自己責任放棄、させられてしまっているのだ。

 常識の感性責任では、責任という形式が先に立ってあり、感性がそれに倫理的に嵌められるのだ。
 範疇によって。
 わけのわからん人倫というものが出てくる。
 この問題は、ちょっとおいといてと思うが、関係ある。

 共有の感性認識が、オイラという認識の先に先験的にあって、それが自分を形成してるんだと、思っているのだ。
 逆の思惟的モーメント、三つ目をもって。
 先験的であることを、経験的特権とみなしてしまっている。
 つまり、逆立ちして考えてしまっているのだ。
 時間・空間を、もともとが共有のモノだと、見えてない庭だと思っているからなんだろうか?。
 そうでもないのかも。
 自分の常識に聞いても、コイツがはっきりこたえようとせん。
 だが、わからんけど、それは他人のもんだ、と思っているみたいだ。

 しかし時間・空間というのは、オイラが自分でここに現実として認識する、オイラ固有の感性の形式。
 他人のものじゃない。

 わからんはずはないのである。
 現実という、享有に所属するモノ。
 数学的な、難しい架空の次元の話なんぞじゃない。
 庭のクラス形成者だが、(見えてない)庭論議じゃないのである。

 物理学という「目的を持った再現企画が立てた」、仮の庭なんぞじゃない。
 オイラの身体という、過去に辿れる現実の庭。
 身体という庭が、そもそもきれいに見えていないので、この論議は手探りになってしまうんだが。

 責任というのは、つまるところ自分の感性のことである。
 この庭の広がりにおける感性的責任の「クラス化」、というだけ。
 このクラス化されたものが、倫理なんだろう。
 これは自分の享有に属するだけ。
 それだけのものだ。
 共有世界に対してはもともと、無関係なのである。

 クラス化されるので、共有世界でも通用するように思ってしまう。
 しかし倫理というクラスの、そのもとは、感性。
 使う図式も、範疇ではなくてカテゴリー(露語巣のカタログ)。
 すべては、自分という享有に属するだけの目的に収斂するのだ。
 だから倫理は、具体的な論述である道徳とは違って、共有では効果のない縛りとなる。
 享有と共有をあいまいに扱う、捌きの庭の見えてない現代では、これも曖昧なんだが。
 倫理を共有の世界で論じようと図るので。
 
 共有世界が人の感性を形成しちょる、と言ったような現代風言い方は、その縛りを純粋世界で、いや虚無世界で一義的に実現させたい、光る硬い詩なのだ。
 みつめにウロタエて、庭に、感性のポイエシスを責任転嫁しちょるだけの話。
 ちょっとは庭がみえてきましたか?
 自分無視、哲学無視で常識を正そうと騙るおいらは、逆に、見えんようになってきた。





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最終更新日  2020年07月07日 08時47分48秒
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