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カテゴリ:哲学研究室
前節もそうだったが、哲学からちょっと離れて、しばし歴史探求みたいにはなると思う。
時間論を浮かび上がらせる目的、と言っておきたい。 若いアウグスチヌスは、母から学んだキリスト教の教義は、無視したらしい。 洗礼も受けなかった。 マニ教に、まず多くを学んだのである。 本物の宗教家は、たいてい本物の宗教家に学ぶ。 そこで得たキリストの教説や聖書の元となる記述のもろもろは、のちに彼の立てていく帝国の宗教教団の母体となった。 だから、疑問点が生まれる。 なぜキリスト教は、「自分はマニとはまったくの別物だ」、と言うのか? ここに、キリスト教の大秘密が隠れていそうなのである。 同時に真実をも言っている、と思う。 普遍宗教を目指していたマニとは別物、なのだ。 ユダヤ教から生まれた、とはよく言われてきたのだが。 確かに史観を共有するという、不思議な面がある。 同じ一神教であっても、ユダヤ教は基礎の聖書からして、ぜんぜん違う別ものなのである。 (ユダヤ教が旧約聖書、というのはこれもウソ、ユダヤは独自の聖書を持つ) むしろマニ教の教えとキリスト教は、その多くが一致するのに。 新旧の、神との契約書を崇める、ようになるのが、キリスト教。 その契約書ができる前に、ああだの、こうだのは、魔術なのであるので無視できるとして。 聖書ができても、ユダヤ教は、これらとは違う独自の聖書や価値観を持つ。 彼ら異教徒は、キリストも崇めてもいない。 なのに、その史観(ユダヤ戦記の史観)に関しては、キリスト教側からの異論をあんまり聞かない。 というより、なぜかユダヤ史観の中でこそ、キリスト教は語られていくのだ。 まあ、ローマ帝国の歴史学者がユダヤ人に握られていたので仕方ないとも言えるが。 これがたぶん、最大の理由説明をしているのだろうと思う。 この200年前後の時代までに、聖書とともにユダヤ史観が(ローマ帝国という同じ組織内部で)できた。 同時に、新旧のキリスト教聖書も、ユダヤ教の聖書も、イスラムのクルアーンのもとになる文書類も、たぶん「同時にできた」のである。 オイラは、特にユダヤ教とキリスト教は、同じローマ帝国という職場組織宗教であって、職種が違っただけだったんだ、と思うようになった。 つまり、現業職と事務職、のようなちがい。 聖アウグスチヌスの前にもローマ帝国とも結びついていた、教父とも言える人物たちが複数居るのだ。 すぐれた人物もいたようだが、これの紹介や論議は、するつもりはない。 ユダヤ教徒のレビが同時に、帝国の実務の多くを担当する、帝国の官吏であった。 多数派ではない。 ごくごく少数の学者、奴隷業、武器商人の、小領主階級レビ族。 キリスト教徒も、ごく少数であったと思う。 広大な帝国の王族の、風紀や思想管理をしてたんでは?。 風紀委員、あるいは諜報員や王族を見張る特務機関事務。 本人たちも、帝国の組織にスカウトされた王族なのである。 それがマリア崇敬が表に出てくる、そのころに事情が変わって。 以後は、庶民の風紀管理もするようになっていったんだと。 ミトラ教徒の、教団への取り込み。 やがて公安委員会や検事組織といっていいほどの、ガチガチのピラミッド組織ともなっていくのだ。 同じガチガチの一神教であっても、異教徒のユダヤ人の扱いが、そのときから、事情が少し変わったんだと思う。 8ー10世紀ごろには、ユダヤ人側でも、庶民のユダヤ人が生まれていくのである。 イデイッシュ人が出て、アシュケナージ・ユダ族になっていった。 ユダヤ教もキリスト教も、ガチガチの一神教カルト。 しかも異教どおしなのに、ともに、ウソ八百の史観を共有する。 (オイラはキリストの物語も、ユダヤ史観も、認めてません) それが、それらの仮説の証拠、なのである。 庶民のユダヤ人なんてのは、もともといない。 みんな宮廷に出入りしていた地位の高い偉い人たちだったのだ。 これを誤魔化すために、ユダヤ人学者が常に、真逆を述べてきた。 彼らの述べることはまるで真逆なので、逆に、よくわかる。 マニ教の教えについては、ゾロアスター教が、その母体だそうだ。 だから、違うのである。 むしろ滅びたゾロアスター教の分派から生まれたと思う。 マニがキリスト教のエルカサイ教団に学んだというのもあった。 だが、この記述が魔術だった。 エルカサイが、明確に出てこないので、これは、いかがわしい話。 ゾロアスター教のそこに、ユダヤ教の預言者の概念を取り入れたものがグノーシスのマニなんだ、と一般には言われている。 だからこれも、ユダヤ人教師独特の、魔術的意図があるウソだと思う。 この、ユダヤ教という概念も怪しいのだが。 怪しいものを相手していてもしかたがない。 こういった問題には今回、深入りしないでおきたい。 はっきりいって、ウソつきとは、あんまりつきあいたくない。 連中に言わせると、おいらたちのほうが、自分を騙すのでウソつきらしいが。 マニは、彼ら(キリスト教とユダヤ教)つまりガチガチの一神教徒から見て、「善悪二元論、かつ仏教的な禁欲主義が特徴」、に見えたようだが。 彼らキリスト教は、それらとは逆に、一元論かつ欲望大好きだった?。 いや、一元論や欲望などは、キリスト教の場合、ガチガチな主張はしない。 民主主義論議にしてしまうのである。 もともと自分相手の論議ではないのだ。 個人の善悪じゃなしに、タンナーたちの間での、多数決の論議にしてしまう。 組織としての共有論議なのだ。 形而上学に絡めて、一元化を図る、といったらわかりやすいか。 公共の運営組織にしていった、のである。 そのため特に、清浄な聖職者幹部たちを必要とした。 グノーシスでは困るんである。 教義自体が、もともと世俗的かつ粗野であった、のは確かなようだ。 二元論であっても、マニにはグノーシス主義とは一線を引く一神教の特徴らしきものが明確にあるのだが、そこは言おうとしないのである。 基本方針が違うから、であると思う。 マニ教は、キリスト教徒の多くが嫌悪するグノーシス主義思想より、むしろミスラ教と近くて。 ゾロアスター教の滅びた分派であったズルワーン教、などとも近い、とされていた。 このミスラ教との関係を特に、意図的に、キリスト教徒は組織として隠し、無視するのだ。 というか、そうではなかったからだろう。 「最高神がズルワーン(時間)であることや、厭世的な人間論が一致」と、ウイキにあった。 ユダヤ教やキリスト教の個人は、確かにポシティブ一本やりである。 かつ厭世的ではない。 神も、最高神、なんていう言い方ではない。 ありてある唯一の善なる神。 しかし時間の秘密を持っていないかというと、・・・その善を言うところに持っているのだ。 いくら組織で相手する宗教とはいえ、組織を運営するのは個々人。 よくみていけば、同じ一意神なのである。 一番大事な関心点は、神がどうのこうのじゃない。 このマニの教えこそが、キリスト教カトリックの母体でもありうるんでは?、という疑問点。 人の子マリア様が、神の子イエスの母体であったように。 アッシリアのキリスト教は、特に、それをきらったのであるとオイラは思う。 普遍宗教であろうとする、その態度を嫌った。 本来のキリスト教にある、純粋な教えを貫こうとした。 組織としてのキリスト教のありかたを選ぼうとした。 ミスラ教徒を改宗させて取り込み中の、普遍宗教を目指すカトリック準備会では、ミスラ教徒に大いに気を使ったので、この問題をスルーさせた? いや、逆なのだ。 このときローマのキリスト教は、それまでの帝国王族管理の宗教であることをやめ、普遍宗教であろうとしたのだ。 自分たちが立てた史観魔術に自分で嵌り、マニの教えに立ち返ったんだ、とも言える。 基本方針を変えたのは、異端視されたアッシリア側ではなくて、ローマ側。 ローマ側が、異端なのだ。 過去の悪行を忘れてはいかんのだが、忘れようと勤める。 隠そうとするほうに動いたのだ。 これは、キリスト教徒の誰もが絶対に言おうとしないから、逆に目立ってきてわかってしまう。 むしろマニ教よりキリスト教が古くて、その一宗派からカトリックが純粋化、先鋭化していったんだと、必ず言う。 それがこうじて。 聖書成立年代の年代詐欺までが疑われるのだ。 西洋の歴史魔術とも言える、ファントム年代詐欺は仮説であっても、有名。 なので、これも取り上げない。 真相は、もはや不明だし、300年近いサバ読みがあっても、すでにわからないようになってる。 真実であれば、タルムードの成立年代やイスラム勢力とのゴタゴタなどとも符合してくるのだが。 オイラまったくの異教徒なので、そんな諸事情一切気にせんと、大声で言う。 200年ころの当時、普遍的なキリスト教なんて、未だ、なかった。 それらしき、いろんな教えや諸教団があった、だけである。 マニ教も、最有力な、それらのひとつやった。 しかし新プラトン派の論理を学んだ、ユダヤ人という官吏たちがいた。 そのキリスト教の同僚である学者先生たちが、ともすればグノーシス思想に落ち込む、二神論風の同僚の論議を、極端に嫌ったのである。 それを認めれば、レビの権威が揺らいで、ローマ帝国の官吏組織が成り立たなくなるからだ。 おまえらキリスト教も、その史観を失うことになるゾ、と脅した。 史観は失わなかった。 今でも失われてない。 ヘンな史観なのに。 そのかわり、キリスト教は変節した。 民衆を味方につけ、ユダヤ人学者のほうを切り捨てたのである。 旧来のキリスト教にこだわる、アッシリア勢力とも手を切った。 以後、カトリックとユダヤ人は、隠された抗争の関係に入ったんだと思う。 両者とも、ローマ帝国の官吏同僚であったという過去を隠して。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年10月17日 11時14分47秒
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