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カテゴリ:政治経済
外国人が国の中枢に居座ってしまって、日本人が日本人の魂を主張できなくなってしまっている。
魂は、もともと中空なものなので、それでも正解、なのであるが。 有職故実も変遷を遂げ、衣装なども激しく変化してゆくのが実情。 和服は昔の中国服だし、漢字もかなも、外国から入ってきたものだ。 まあ、持ち込んだ人が日本人になっていった、のだが。 しかしそういった諸文化や理念の中で、とりわけいつの時代にも大切にされてきたものがある。 これらが失われたら、日本は終わった、ことになる。 「和をもって尊きとなす」。 これは聖徳太子という架空の人物の持ち込んだ筆頭理念だが、これに異議を唱える人は日本人ではない。 金が正義、力が正義、などという外国風の理念は、日本では一切通用しない。 力でねじ伏せられたとしても、理屈が通っているほうが、常に正義なのである。 「三宝を敬へ」。 仏だけ、法律だけ、僧だけではダメである。 三点そろったお宝モノでないと、敬う価値はない。 「詔を承りては必ずつつしめ。謹まずんばおのずから敗れん」。 主人に反逆していては、何のための主人か、わからんなる。 その主人も、日本の場合、奴隷制度の主ではないし、天にしろしめす王の王でもない。 そもそも天皇は絶対君主の大王ではないし、統帥権なるものを持たされ、軍閥組織の傀儡みたいにされていったのも明治以降である。 伝統の理念では、必ず、主人はもちろんいた。 しかし、エン(主人)リルのいた都市ニップールが首都かというと、違っていた。 軍事大権を持つ戦時任命の征夷大将軍は別にいたのだ。 六千年以上の太古から、国体は、この二つの権力機構で成り立っていて、ひとつの中央集権王権のものではないのである。 王名表ができたのも、エンシが実権を手放さなくなって以降のものかもしれない。 そして、この最後の理念は比較的新しいものだとは思うが。 「地蔵菩薩信仰」が、いつの時代からか、田舎の路傍の隅々にまで浸透していたんだと思う。 これを持たない者が731部隊やったり、障害者の生存権を排除しようとしたりするのである。 天上地上、地下を問わず、最も弱きものから最優先で救済すべし。 助かりそうなやつから優先救済、の、現代医療のまるで反対。 731部隊は犠牲のマルタ使って上級国民優先にするんだから、これに違反している。 根拠のない、この理念。 これが、オイらたちに、国法としての奴隷制度を持たせなかった最大の原因だと思う。 これらはすべて、「具体的な道徳理念」である。 権力諸組織が乱発している、倫理規制扇動理念や、情報工学可能な魔術理念ではない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年01月27日 14時14分49秒
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