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カテゴリ:哲学研究室
時空(見えてる享有)を相手にすると、見えてない共有部分のほうが、巨大化したアジェンダとなるので。
あっさり形而上学につかまり、デミウルゴス相手となり。 神秘主義だの弁証法だのと言わんならんなる、というのは先に述べた それが[ラレ]、も構想力であるはずの、理由。 知性も感性もほんとうは不可分で。 ウロボロスな現実がある、だけだ。 客観も主観もほんとうは不可分。 それを修辞的に言い訳してるだけだ。 構想力がサクラだというのは、しごく素朴な観念論なのである。 その居場所確認、で、いいのだが。 ソコに、無知のままとどまっていたい、とは思わないようだ。 身体へと、三つ目(られ)、る、からである。 鞭持って、急き立てられる。 「ユダヤ女のもとへいくのなら、ムチを忘れるな。」 実は自分がシバかれている当人なのである。 メロメロのルー・サロメに、好き勝手にシバかれて。 みつめの正体は、デミウルゴスではなくて自分の身体である。 その身体での、感覚なのである。 これが病めば世界も病む。 松果体に神経集中してる、というだけの唯物論の話になる。 そこに鞭持った主人がいるわけじゃない。 実態は、有限な自分という身体。 この有限、限りあることが、幽玄につながる理由だ。 見えてない共有部分が巨大化し、アジェンダとなって。 形而上学的には手に負えん、見えん怪物ものとなって。 享有であるのに、共有を主張するからである。 もともと見えようがない、ものの写し絵所有権を主張し始める。 先験的論議を、経験的論議しか扱えないはずの知性が、扱おうとする。 これが形而上学という、ダメなデミウルゴスの正体である。 と、ずっと言ってきた。 誰も聞く耳持たんようだ。 純粋理性の先験的誤謬と、大昔からずっと言ってきたカント先生も理解されてない。 デミウルゴスには、別名がいっぱいある。 現代を牛耳る新プラトン主義の神秘思想や 一神教カルトたちのサクラメントも、モロに、それだ。 弁証法的絶対主義者の絶対知、といういいかた、でもいい。 存在者の存在、でもいい。 具能シス主義者たちの知性は。 ホンマに光る固い叙情というべきかも。 将来的なデーターベースと、アジェンダ出してくるので、すぐわかる。 宮沢賢治が社会主義にカブレ、格闘して殺された相手。 これがオイラたちの現代の実情なのである。 「デミウルゴス的共有思想」。 こういった三つ目の怪物に、オイラたちは、とっつかまってしまっているのである。 それは感性の共有を無視したからだ。 知性へと選ばれし特権で超越してしまった、からだ。 天才の構想力もサクラなんだと、まったくわかっちょらん。 だから、そのサクラに、とっつかまったのである。 サクラという実践的構想未来企画(形而上学のこと)に。 これを推進するのが今日のコロナに代表される、アジェンダだ。 あれは病状のことだとずっと思ってたが。 どうやら若干違うかも。 アジェンダとみるのが正しいように思う。 我が国の高級官僚や、トップのエリートたちが、モロ、とっつかまっている。 それを示す、いい例がある。 史魔女さんに、ムーンショットというヤバイ企画を教えてもらって知った。 これまで、オイラ、ロクに知らんかった米国風アジェンダである。 大幅脱線して、次節で、コレをバラしてみようと思う。 **コピー利用、営利目的以外は好き勝手です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年07月20日 08時02分28秒
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