|
カテゴリ:哲学研究室
3 [時間空間を超えた新産業]
エリート連中は、図式(シェーマ)をテンソル公式で操れると考える。 なので、このテクネー・ロジックは、時間空間を超えたものを扱う、となるようだ。 超越の未来に、何かはわからんが新産業が待ってますと、平然と言う。 まっちょりは、せんよ。 自分から時空を図式化し、投企して破滅するだけ。 (投企は、ナチスのハイデガー先生の概念である) 時間・空間の「みつめ」概念が、オイラの言うそれと逆のモーメントを持つのがわかる。 そもそもムーンショットの時間・空間の認識や扱い方と、オイラの思想との差異が、見えるだろうか? 形而上学になるが。 オイラは時間も空間も、「人の身体の感覚が元だ」と思って扱う。 そこがアルケーだからだ。 しかも「認識は身体の感覚だけ」だとおもっっちょるので。 時間空間の超越は、そのまま死を意味する。 人は、魂で生きてんじゃなくて、個々人の「身体の実践活動として」、生きている。 つまりこれが魂を持つということだと。 生が魂であって、死には何もない。 そして彼は神となった、とご先祖たちは言う。 そのとおりだと思う。 現実の共有部分は、確かに闇だらけだ。 ロクに見えんし不安だらけ。 だが、享有部分は、自分という写し絵にのみが厳然と「ある」。 これは現前、ということでもある。 三つ目られて、アンヴェーゼンされている。 これらが、有限な生きていることの「分限」だ。 自分という感覚と、それが可能にする思惟と、時空。 感覚、つまりその背後に想定できる感性なども、享有抜きには、ありえないのだ。 享有がなければ、共有も当然ない。 (共有がなければ享有もないんだが) オイラがいなくなれば世界も消える、なんて観念論は一切言うちょらんから安心しなはれ。 これらはすべて、たわいもない形而上学的世界。 感性は共有物の扱いだが。 それを享有知性が映し絵したもの。 なので、解体すれば、わかる、と考えるわけだ。 つまり写し絵(知性)に組んだ元のモノは、享有。 ぜんぶ感性物がモトなのである。 ムーンショットのサイバネチストたちは、そのアルケーや哲学的反省をしない。 一切無視するのである。 すべてを未知の、将来の、ありもせん神秘な三つ目に、デミウルゴスに委ねてしまうのだ。 新プラトン主義だの、神秘主義だの、積極的キリスト教だのといった一神教の導入が、これを可能にした。 統一教会や、ナチスの積極的キリスト教と類似の、キリスト教が。 サイバネチクスに至るには、カルビン教という、独特のサイコパス的思惟も必要なんだが。 サイバネチクスの解説で。 「生物と機械における制御と通信を統一的に認識し、研究する理論の体系。社会現象にも適用される」というのがあった。 これも、かなりちがう。 というか。 この解説は間違っているのではなく、「意図的なデマゴーグ」やっとる。 サイバネチクスは、理論体系ではない、からだ。 理論体系でもないもんを理論だと、ウソ言うちょる。 投企計画なのだが、破綻を未到来に丸投げする。 言うなれば、無責任な共有化。 理論とは時空が逆転、逆立ちした実践理念アジェンダである。 背後に三つ目がいる実践的体験で。 しかも投企計画。 それがサイバネチクスという形而上学企画なのである。 オイラが認めんライプニッツの形而上学は静的だ。 が、こちらは動的。 極端に言っちまうなら、サイバネチクスとは、一神教特有の、カルト宗教のことです。 実践的共有運動を伴うからだ。 他者をも巻き込む。 積極的キリスト教という、パラダイム信仰なしには、なり立たないのである。 つまりナチズムのことだと、オイラ言ってる。 えらいこと言うてしもうた!。 しかしこれで、スッキリと、わかって来た。 新プラトニズムの写し絵ロジック、神秘主義のサクラ、一神教の信仰、これらが一つに集約される。 その三位一体で、三つ目、になる。 ムーンショットは、そのアジェンダ企画。 つまり三つ目の予定企画なのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年07月23日 07時37分42秒
コメント(0) | コメントを書く
[哲学研究室] カテゴリの最新記事
|
|