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カテゴリ:哲学研究室
専門家としてではなく、哲学についての一般的知識を語りたい。
但し、専門家にも通用するようなものを。 哲学というこれはフィロソフィの訳語であって。 日本古来のものではないし、日本には、こんな学問はなかった。 古い日本にあるのは、修辞学と同様の政治的かつ実務的なもの。 だから政治哲学といったりもする。 だが、あれは完璧に別物である。 西洋で修辞学ともいうことがある分野の、別物。 哲学は、日本ではもともと必要なかったものだろうとも思う。 今のギリシャがあるあたりに。 古代に、ヘラス人というのがいて。 アテナイとかスパルタとか、いっぱい小国が林立してた。 ポリス国家だと世界史で教えるので、知ってる人も多いはず。 またアテナイは民主主義、スパルタは全体主義と、歴史で教えるが。 ぜんぶ微妙に違うので、これは後で説明したい。 そのアテナイにいた、ソクラテスという人物が開祖。 彼の開いた学問が、哲学である。 若干宗教めいてる。 が、決してカルトではないし宗教でもない。 仏教の本質がカルトでないことと似ているが、仏教とはかなり遠い。 むしろ、あらゆるカルトをぶっ壊す、審神者(サニワ)術に似ているのだ。 古代ヘラスは多神教だし、哲学は特に、一切のカルトを悪霊とみなし否定する。 公共に主張するのではなく自分に対してだが。 古代ヘラス人は、今のギリシャ人ではない。 なので、間違わないように。 今のギリシャ人とは、古代ヘラスの血筋や伝統の一部を受け継いでいる人がいるかもしれん、といった程度の関係。 古代ヘラス人の全域は、ローマ帝国に占領された。 全員殺されるか奴隷となって、消えた過去の種族なのである。 但し、彼らのもってた学術の多くは、奴隷の家庭教師によってローマ人王族の子弟に受け継がれた。 そこで、修辞学という、全く似て非なるものとなったのである。 コレ、最近自分でわかってきたこと。 ソクラテスは、その全盛期のアテナイにいた、平民の大男である。 「ヘラス一、賢い」、と、デルポイの神殿が保証。 寺子屋でもあったんだろうか。 だからか、デルポイ信託の言葉が大好きだった。 「汝自身を知れ」、という格言を信条にしてた。 家庭はそこそこ資産があり、重装歩兵階級だった。 プチブルジョワだと、よく言われる。 何オボロスかの日当もらっての、市会議員もやってた。 市が国なんだから、重責を担うインテリ階層。 日当で、なんとか暮らせたが。 重装歩兵階級の仲間のみんなと、同じような生活していた。 奴隷を所有し、彼らに働かせて、本人は遊びほうけ。 資産稼ぎもやってはいたが。 しかし、ほかの連中みたいに金策熱心でなく遊ぶことが大きいため、帰宅したらいつも嫁さんに水ぶっかけられていたという。 彼はテンカンを起こす病気持ちだった。 あるときアテネ軍が戦場で負けて退却中に、この病気が出てしまい、敵の真っただ中で硬直。 大男で重いので。 担いで逃げる同僚たちが苦労した、という話もある。 学問の師は、自然学者で当時高名だったパルメニデスに学んだ。 哲学を学んだのではないので、これは絶対に間違わんように。 わざと意図的に間違え、へんな工作やる人、多い。 彼が師から学んだのは、自然学や宇宙論。 これらは哲学とは無関係です。 弟子の中では免許皆伝級だったらしいが。 もちろん自然学、宇宙論も、自分で十分納得はできなかったらしい。 ソクラテスはデルポイの信託どおり、自分自身という宇宙を知りたかった。 しかし病気同様、不可解で。 自然のもろもろはもっと不可解。 硬直中に見るエクスタシーも不可解で。 師の学説で、それらについて知ることは、できなかった。 だから、なんでやろう、と、自分で考え始めた。 この「自分で考える」ことがなくば、哲学の門は叩けない。 師の教える、外界の自然やその対象ブツ、には興味がなくて。 宇宙の成り立ちや神々の序列など、にも興味がなくて。 もっぱらアゴラという公共の広場で、仲間たちとあれこれ、不可解なことを討論するのが好きだった。 わからんモノの論議好き。 哲学、フィロソフィは、この公共の広場での、「仲間たちとの対話」の中で生まれた。 そこで彼が気が付いたのは、「自分の恐ろしく無知なこと」について、である。 当時の最高の知恵者を師としたのに。 対象認識する自然についてのその教説は、自分の知識であるはずなのに。 当時流行してたイデアという認識の、核心であるはずなのに。 それは自分の病気をまったく説明できない。 のみならず。 硬直のさ中に出会うイデアを、仲間たちに語ろうとしても、まったく伝わらない。 親しいレクチャーが、まず必要なことだ、とは感じたが。 それを成し遂げる、まともな対話が、できてない。 自分が無知を悟り、相手も悟れば、無意味な主張の対立がなくなって、対話が可能になるハズ。 つまり自分には、学んだ知識や獲得した知識は豊富にあるが。 語ろうとすると、なぜか結果的に騙ることになってしまっている。 そのことにソクラテスは気が付いた。 ホンマは、無知なんや、と。 知識を語ろうとするそこに、ダイモニオン(悪霊)の否定的介在があるからだと。 そのことについて気が付いたのである。 その悪霊は、彼を全否定にかかっていた。 ここらも、実は仏教に似ている。 しかし、違うのはこれヵらだ。 否定されて、汝自身を無知な状態のまま佇ませ、こころをからっぽにすると。 むしろ知識は、勝手に入ってくる。 それでも自分自身は無知のまま、なんだと、気づいた。 知識の入る枠作っても、自分自身は無知。 この、「自分は無知だと気が付いている」、この認識は、どうなるのか。 やはりいつまでも、無知のままではないのか。 知識を学ぶと、それが無知を覆い隠す場合もある。 親しいレクチャーの合間に漂う、この問いと学びの諸々は。 悪霊に自己否定された、中と半端な状態のままなのである。 これをエポケー(たたずみ)という。 なんにも自分から考えないままで、こんなので、いいのか。 神託は、汝自身を知れ、と、喧しくいっていた。 悪霊は知識を被せて、その汝自身を否定にかかるではないか。 ソクラテスは、そこではじめて。 自分が悪霊に囲まれて無知のまっただ中にいることを知った。 自分を第三者に見立てた、この汝自身を知るために、哲学を始めたのである。 無知の知利用の対話術を、産婆術を始めた。 フィロソフィは、フィレイン(愛)・ト・ソフォン(知恵)のことだ、と言われる。 普通には、知への愛と訳されるが。 じつは微妙に怪しい。 説明がいる。 むしろ知について、あえて、「自分で知ること」。 その概知の知恵を全否定し、知恵、へのフィリア(執着愛)を今一度、仲間内の親しいレクチャーのために、「自分で思惟し直して」、確かめること。 知への、普通とは逆向いたモーメンントの思惟が必要なのだ。 「佇み」が必須。 悪霊に、無知を指摘され、否定されたその後の、自分自身からの「先験性を問い直す思惟」。 この先験性という言葉は難しいけど、カント先生を紐解いてください。 それがフィレイン・ト・ソフォン、なのである。 この執着愛フィリアについて、おいらたちは、ぜんぜん知らない無知なのである。 自分が、もともと(先験的に)もつものなのに。 なので、よくわかっているもの。 ても、無知なんである。 汝自身の、その自身部分に執着してる、悪霊に否定される知識だからだ。 否定されないと、あえては、見えて来ない、わからないのだ。 しかし悪霊に否定されて、自分自身の無知を知れば、その知ることへの執着愛の理由もおのずと、わかってくる。 人は知ることを欲す。 その理由を、汝自身を知ることで、確かめること。 まあ、無知だから、そうなんですが。 その「自分自身の無知を知らないことには」、哲学は始まらない。 哲学とは、自然学などという普通の対象認識の問とは、まったくの別物の問のものなのである。 自分自身の無知に関する、しかも親しくレクチャーする学問だということ。 そう考えて、まあ間違いないけど。 すべてが享有のものだけど。 親しくレクチャーする共有も絡む、やたこしいもの。 ディアレクチークという言葉も、できたが。 これは弁証法ではないので、間違わんといてや。 ソクラテスは公共の広場で、仲間やその子弟相手に、親密に、この哲学を伝えた。 ディアレクチークした。 頬を触れ合ったかどうかは知らない。 その中に、王族の聡明な若者、プラトンがいた。 ソクラテスの諸々が今日に伝わったのは、このプラトンの、ずっと後の著作に拠るのである。 その美青年プラトンに横恋慕してたかどうかは知らんが。 王室に出入りする詩人が、なぜかソクラテスの言動を、反王室の政治運動だとみなし告発。 ゴタゴタがあって、えん罪逮捕され、結局殺されてしまうのである。 そこのところは「ソクラテスの弁明」というプラトン著作に詳しい。 無知の知という哲学を不動のものとしたのは、このプラトン先生である。 ソクラテスの死でアテナイを出た王子は、いつしか。 格闘技の大家となって、帰ってきた。 体育館付きのアカデメイア学校を開き、アテナイ人の人気を一手に浚い。 併せて彼の説く哲学が、ヘラスの地に根付いたのである。 アテナイは民主主義だと教えるが、これは怪しくて。 王室の力が弱くて、なおかつ戦争のさいに船の漕ぎ手となった下級兵士の発言力が増したため、とも説明されるが、これも怪しい。 とだけ言っておきたい。 また、スパルタには王が二人いてという、これもぜんぜん怪しいのである。 国の主人と征夷大将軍がいただけ、かもしれない。 古代ヘラス世界は、政治体制見本市、みたいなものだったとされる。 実はヘラス全体を読めない純粋志向がそうさせるわけで。 現代の世界史は、ヘラス世界をポリス監視国家にしたいようだが。 この多神教の国々は、相互に行き来自由だった形跡がある。 どことなく、太古のシュメール都市集団にも似ているのである。 さて、哲学はその後どうなったかを教えるのが、哲学史。 ただ一つの哲学、ただ一つの歴史を伝え、主張したいのが一神教徒だが。 哲学史は哲学者の数だけ存在する。 万ねん学徒にすぎんオイラの哲学史は、というと。 ソクラテスの哲学は、プラトンの弟子の、マケドニア人アリストテレスに引き継がれ、その後、一旦途絶える。 ヘラス人が全滅し、一神教が介入して、哲学を修辞学と形而上学に変えてしまったためであると。 最近自分で少しわかってきた。 しかし息も絶え絶えであっても、哲学は、修辞学者聖アウグスチヌスに受け継がれ。 神学の先生ドゥンス・スコトゥスに受けつがれ。 やがてデカルトによって華々しく再興されるのである。 哲学史については、またの機会に。 哲学とは、自然学などとは、まったくの別物学問である。 汝自身を知ろうとすることで始まる。 享有の探求。 なおかつ共有の対話目的を狙う学問。 それを公共の場で「騙る」んじゃなく、「語る」ための学問でもある。 修辞学に似ている。 だが、政治思想や工学的目的、独自のジャーナリズムを持たない。 著作というエンターテイメントは手放さないが。 そもそも、実務力を一切持ってない。 なので、自己認識のための形而上学(心理学、宇宙論、神学)ではないのである。 断じてない。 だから、産学協同には馴染まない。 哲学は、あえて言うなら無知の知であり。 ムリに言うんならソクラテス教、とも言える。 但し信仰がモトではない。 自分で考える、そのことの「享有をモト」にしているのだから。 そのための、「無知の悟りを語る」ことが必要。 共有社会で、客観的にレクチャーしようとする。 これは多神教独特の、共有もの、なのである。 一神教組織の共有ものでは、断じてない。 ミュトス的な、一意狙いのお祭りではなく。 親しく対話できる、カタ・ロゴス狙いのもの。 汝自身を証したり、実在を語るためのもの。 ここで目論まれているのが、カテゴリーなのである。 範疇ではありません。 ロゴスの先験性のカタログ。 汝自身を自分で知ろうとして、悪霊に全否定され、1から自分で始めないことには始まらない、のだから。 極めて享有的な、自己中心の学問なのである、ともいえる。 だから語り始めは、どうしても独断論になる。 そのくせ、その無知の知を、公共の広場で共有させたい、わがままさを持つ愛(フィリア)。 カルトのような、ソフィアに執着、恋着する学問でもある。 この恋着というのが、フィリア。 はっきり言って、フィレイン・ト・ソフォンの愛は、フェチシズムに似た偏執愛です。 オイラは哲学徒であるにすぎず、まだよくわからん、というのが本当は正しい。 哲学は、「自分の無知であることを知ることで、相互に親しく会話・論議できるようにするための学問」、と覚えといてください。 論議が目的。 断じてアジェンダじゃない。 カテゴリー狙いなんだが、それは、未来にはなく、自分の、無知という過去にあるのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年01月01日 09時54分40秒
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