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2023年01月11日
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カテゴリ:哲学研究室
アジェンダという、敵の希望の光、ルシファーの妄想を消した。
 時空は、普遍的に共有的にも、「ある」といえるが。
 (経験的にも認識可能なので)
 光だとか闇だとかは、自分の認識の、先験的時空の枠のことにすぎんと思う。
 図式化された時空、というサクラ枠。

 光は、光と闇という二元性を介して得られる。
 認識の図式枠形成して、はじめてわかるわけで。
 この世(共有社会)には善悪がない、個々からの主張であるにすぎんように。
 光と闇も、本当は実在しないのでは?と思うことがある。

 フォトンは実在しない?
  それではオイラがなくなってしまうじゃろうが。

 光と闇は、厳密に分けられるものではない、というだけのことじゃろ?。
 デジタル二進法にはけっして、ならないだけのもの。
 実はアナログにもならなくて。
 デジタルとかアナログというのは、オイラたち人間の「認識枠」のもの。
 それ以外の認識枠があるかもしれないが、これはオイラがアホすぎてわからない。

 時空は、「ある」、と言える「感性的枠者」だし。
 その脱存的反省認識もまた、ある。
 実在延長も、からっぽ、もある。
 経験的認識が得た「生もある」、と言えるが。

 つまり、経験的生のうちには、それらはある、と言えるが。
 そのもの自体としては、ない。
 そういう、「そのものとしてないもの」なんかじゃないんかいな、と。
 無に、ムを重ねると、鬼が見えてくるものだ。

 波みたいな、はっきりせん力関係のモノが共有であって。
 あるいは、動き回る粒子が、あって。
 というのが物理学という、力関係共有認識技術ノートだが。
 この世界でも、「観測系を無視したモノ自体などは、ありえない」。

 自然科学とか言うが。
 自然そのものなんぞは、何処にも存在しえないわけだ。
 人のこころのアジェンダ以外には。
 コレはずっと述べてきたこと。

 自然は、今でこそ対象ブツ扱いだが。
 日本の昔は、名詞ではなく副詞だった。
 こっちが正しかったんだと思う。
 今がおかしい。
 存在者の存在が先験的に作り出したんだ、という、この西洋的意見は極度に怪しい。

 そして共有のほうは。
 観測系がいっぱいあることになって、なんともならなくなる。
 それが世の摂理、修辞の行きつく先じゃろうて。
 戦争やってオレが大将、と言わねばならんなる、ということ。

 ところがそのオレの個人的直観の時空も、また。
 生という経験的認識が、その実在をなぞってオル、だけで。
 おのずからある、もんじゃない。

 先験の領域や、あの世の領域、つまり未来なんぞ言い出したら、無に帰するだけだ。
 時空自体も、ない、になる。
 なく、なる。
 ありもせんアジェンダや虚無主義に、連れ去られるということ。

 力づくの支配目的で、物理的光を利用するのは到底無理があるのだ。
 人工の光の力で調理もできているように一見、見えるが。
 モトになる力の素材反復確保、が、つまり光源が必ず要る。
 粒子なり、波なりを考えざるをえなくなる。
 光はまた、二元論的にエネルギーと同一視されているので「ある」。

 この「ある」は、オルと同じ。
 同義反復だが。
 モノ自体はないのに、存在者の存在を立てねばならん「なる」。
 感性的な居場所確保、時空確保が要る。

 この「なる」は、アジェンダを含んでしまうのだ。

 こんなこと繰り返してたら、エネルギーの時空概念が、おかしくなっていくだけだろう。
 モノ自体がない、と言い出したら、ほんとに、何もかも、なくなる。
 すべてが、オイラ生きているという、この享有認識に収れんしてしまう。
 観測系に収れんして。
 時空を亡くしてしまう、電子みたいになっちまう。

 モノ自体という概念は、享有のモノを言ってるんではなくて。
 享有のモノにとって「共有という、物事はない」、という。
 これは、空虚な同義反復命題にすぎない。

 空虚な命題なのだ。
 モノ、それ自体が所属する共有体などは、ない。
 と、こういうだけの意味だろう。

 つまり。
 「存在者の存在など、オイラたちは(もともと共有なんぞ)してしていない」、といってるだけのことである。
 しかし享有する諸々の出来事は、共有社会にも「実在」しうるではないか。
 それは神々の誓約として、「認識」できる、からだといえる。

 実在する享有から、共有の世界を分析するのは可能だが
 その享有をネタに、共有の、モノ自体を得ようというのは、ムリだってことだ。

 それをやろうとするのが形而上学。
 「存在者の存在を立てるアジェンダだ」、と言ってよい。
 形而上学の、新しい定義命題みっけ。
 カント先生風に言うなら、心理学、宇宙論、神学なのである。
 今風に言うなら、コレに、社会学や情報工学、統計学なども加えていいだろう。

 それらが共有のモノ自体を得ようとしてない、のなら別だが。
 いずれも目的なしには成立しえないし。
 共有のモノ自体を扱う。
 ある種の修辞学なんだが、その目的を隠して成立する。
 陰謀学だと、言ってもいいようにも思う。

 形而上学は、ルシファーの妄想と同じ類の修辞学である。





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最終更新日  2023年01月11日 10時02分15秒
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