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2023年02月26日
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カテゴリ:哲学研究室
オッカムは「科学のみが神を唯一の存在論的必然物とみなすことができる」と信じていたそうだ。
 宗教家で、かつ科学者なのである。
  哲学者ではない。

 哲学徒を主張するオィラの意見にも、どこか似てる点はあるんだが。
  この先生の哲学なるものは、無知の知でもなければ執着愛でもない。
 知への徹底した修辞学なのである?

 いいや。
 超越神の形而上学を否定する。
 が、一神教でしか有効でない科学を語る宗教家。
 独自の形而上学を展開するのだ。
 形而上学は、哲学やおまへん。(オイラの最近の持論)

 「信仰と理性は矛盾しない」と、言ってたらしい。
 ものごとを簡素化して考えるタイプで、スコトウス先生よりずっと自然学的なのである。
 そう、どことなく哲学というより。
 対象の知識重視の自然学。

 そしてそういうより。
 より明確な目的を持って、有効性を探っている。
 科学的認識論だと言える。
 ほめて言ってるんではない。
 オイラよりはだんぜん賢いんだろうが、哲学者やおまへん。

 「神と被造物とを同列の〝存在〟にし、人間が神を認識する道を拓いた」?。
 ウソくさ。
 「哲学の領域から閉め出されていた個物そのものについて考察することであった」、と、みなすほうが、まだましだ。
 個物そのものなんて自然学臭いんだけど。
 wikiも、もうだめだと思う。

 (共有形式には)認識できない普遍、本質、形相といったものはない。
 と、この人物は断定。
 「うふぉ」話なんてのは見いだされへん?
 UFOだとかダークマターなんて、どないなるんやろ。

 共有形式のこっちは、単なる名で片付け。
 個物の(享有)のみが、存在するもの、だとした。
 そういう人。

 本人曰く。
 「普遍は人間の心が個物を抽象して生み出したものであって心に外在する存在ではない」からだとか。
 共有形式は神には属さず人の側の空想モノだから、自由にいじれまっせ、ということ。 こころにあるものは、個物以外はぜんぶ偽物や、という説。
 唯名論の開拓者とも言われる人らしい。

 「形而上学的な普遍が実在することを否定」。

 つまり、神は見ようとしても、みえまへん。
 これはそのとおり、なのだが。
 みえんので個物の形而上学やろうとする。
 名だけの存在利用して?
 何を利用して?
 心理も宇宙も神も、個物以外はぜんぶ偽物やから、利用できまへんで。

 「むしろ概念論の唱道者とみなされることもある」そうだ。
 普遍は名前に過ぎない?

 共有ブツには、存在する実在物があるんじゃーではなく。
 むしろ「言葉があるんじゃー」と、唯名論者は考える。
 概念論者は、「普遍は心的な概念である、つまり名前は概念の名前であると考える」。 この人は前者、後者?

 実はそんなこと、どうでもよろしいのである。
 哲学とは無関係の、形而上問題にすりかえられとるのやから。
 この人はカテゴリーの意味も変えたし、アリストテレスの課した制約も取っ払った。
 哲学史では、こっちの歴史的事実が大事。


 つまり彼は、哲学が学問研究者に課した倫理的制約をとっぱらった、とんでもない人物なのである。
 「論証の過程で当然問題とすべき概念や対象を取扱うことなしに,他の類や他の領域に属する概念にとりかかる論理学的誤謬、のこと」を「メタバシス」という。
 誤謬であって、アリストテレスの戒め、なんだが。

 彼は、このメタバシス垣根を取り払った人物。
 
 数学では(個物の)「現実」において量を数値化して成立している。
 (抽象化、数字化する)
 だから数学が有効な存在論上では確かに、量のカテゴリーは、いらなくなる。
 数学というカテゴリー(とみなすもの)があれば、それでいいからだ。

 そうは言わずに。
 実態や質のカテゴリーは必要とするが、量のカテゴリーは「数学に不必要である」とした。

 カテゴリーの意味の、すり替え、やっとるのだ。
 数学の存在論が扱う現実を、共有の(彼がありもせんとみなす)現実に持ち込んだ。
 これがモロに、メタバシスなのである。
 彼は「共有の現実をみとめん」から、必然的に起こることんなんだが。
 カテゴリーという意味の「範疇化」、も、ここで起こしてると思う。
 どことなく広範九疇的、なのだ。


 数学的現実というのは確かに、人の現実の数値化。
 仮想化、みなし化。
 なので、確かに、その数学が有効な存在論上では、量のカテゴリーはいらないように(一見)見える。
 ほんとうは「数学化される」、のだが。
 そのモーメントを逆に使う。

 しかし当然問題とすべき概念や対象を取扱うことなしに、数学的現実が絶対的となってしまって、いいものだろうか?
 逆転させても、いいもんだろうか。

 逆に言うと。
 「人の現実が数学に置き換わっていいものだろうか、という、問題が」
 生じてまへんか?
 無視して、ええんか?

 想定してまへん、というやつ。
 想定外でした、といってすぐ逃げる。
 科学者はすぐ、コレを言いたがる。
 この原因を作ったのが、まさに彼なのだ。

 アリストテレスは、哲学でこれを戒めたのである。
 彼は哲学でない宗教家なので、形而上学を哲学だと言い張り。
 これを(哲学を)無視した。

 これによって数学的な存在論が、その特有の現実を持った。
 独特の無責任な形而上学が立ち。
 その基礎の上に、今日の自然科学が成立しているのである。

 「学問上オッカムは一神の一意信仰と、対象的認識ブツの諸々を認識する理性は、矛盾しない、という説を採る」というが。
 神への信仰と、人の側の知識、知恵の一致だと。
 これは宗教上の、形而上学問題。
 つまりスコラ哲学なるものを学問だとした、無責任仕立てるウソなのだ。
 
 彼は宗教家にして修辞学者。
 というよりは自然学者なのであるが。
 より徹底した「科学者」、というのが適当、かもしれないのである。
 いや、適当だろう。
 理性に、矛盾や誤謬を認めないからだ。
 さらに数学を自在に操る。

 そもそも無知の知を認めんのだから、「絶対に哲学者ではない」のである。
 つまり絶対知は認めるが。
 「人の側の無知」とか「先験的誤謬」なんかは一切認めず。
 (これは「哲学創始者」と、後の時代の「カント先生」のお言葉)

 唯名論というらしい形而上学を立てる。
 その立ち位置は、先に述べた。
 「スコトウス先生の論議を継承した」、とwikiはいうが。
 ぜんぜん継承してない、やんか。

 その路線の人じゃない、のである。
 哲学史に、とんでもないウソがあるのだ。

 バーチャリターなど認めない、科学的認識論のハシリ、というべきもの。
 これをオッカムが始めた、のである。
 修辞学的であっても、哲学とは、まったくの別物なのである。
 こtれを科学哲学と呼ぶへんな風潮もあるようだ。

 正しくは、「科学技術的認識論」、というべきものだ。
 オッカムが始めた。
 独自の個物優先の存在論、形而上学を展開して、キリスト教では異端ともされた。
 しかしその異端を押し通した。
 反骨の人物なのであるのは、まちがいおまへん。

 一意の理性信仰や命題と、理性上でズレがあっては、科学技術は成立しない。
 この人みたいに一致させないと、科学技術はホント、ダメなんである。
 成立しない。
 多神教的な科学なんぞは、自然認識に特有の一神教性格も持ちこむので、必ずグノーシス主義に落ちるし。
 悪魔的にもなる。

 しかし一神教の唯明論では、「メタバシス」になり、「非人間的になる」のである。
 理性優先のみの、エリート主義にもなる。
 エリ-ト以外の人間不要、と、平気で言い出したりする。
 もろ、非人間。
 これが過去に無視されてきた。

 命題にこだわって、それをもてあそぶ心理学、宇宙論、神学といった、目的の定かでない形而上学を産むことにも、つながる。

 要は、オルガノンの誤解から来るのだとは思うが。
 現代の、一神教と科学の怪しげな関係では、先々破滅しかない。
 そのようにオイラ思う。
 かといって、多神教に対応してる科学なんて、ありえしまへん。
 科学は、目的がないと成立しないし。
 これを、「予定」に、「アジェンダ」にしちまったら、もっと現代の危機が見えて来た、というわけだ。

 現代は形而上学の時代。
 その上に立つ、科学技術の時代。
 危うい世界像の時代。
 (これはナチスのハイデガー先生の予言やった)

 そして、ニヒリスムスが、もはやニヒリスムスとも気が付けない時代だ。
}(これは文献学者ニーチェの予言)
 
 案外、このオッカムという人は、諸々の予言の存在論的ゲシックや宗教的ニヒリスムスを生み出した、張本人かもしれない。
 のちの心理学、宇宙論、神学といった、パラダイム的形而上学の、生みの親かも。
 つまり、現代で言うマトリクスの。

 オッカムがこう言うのを、もう一度、聞きなはれ。
 「(共有の)普遍概念は、人間の外部に存在する実在物ではなく、それ自体を理解することによって生まれ心の内で心がそれを帰するものを「前提」する内的表象としての対象を持つ」。
 この「実在物でない、モノの認識形式」。
 これがオイラのよく言うイメージ、あるいはサクラに似ていることに注目。

 つまり、それはさしあたって自身が表す「物の場所を持つ」のであるが。
 つまりアルケーを示す、のだが。

 オッカムは、実在物では「ない」、という。
 あえて消してしまうのだ。
 それは「心を反映する行為を表す術語なのであるが」。
 「現実のモノやおまへん」、という。
 心を反映する行為を消して、中性化してしまう。

 現実から排除、にかかるのだ。
 オイラの描いてしまう、このイメージは、イ・メー・ジやない、非現実なんやと。

 つまり彼の場合。
 「現実」の意味がバーチャリターではない、からおこることなのである。
 ドゥンス・スコトゥス先生を、まったく継承してない。

 オッカムの現実は、名ざしできるもの、それも個物のみだ。
 その理性は、自分由来の誤謬を持たない。
 へんなものだ。
 たぶん、自分が誤る、なんて考えたこともない超エリート人、非人間なのだろう。
 まちがっても上司にはしたくないタイプだ。
 たぶんドケチだろうから。
 カミソリでそり落とす、ドケチ理論もあるらしい。

 しかし科学技術は、ドケチでは成り立たないのである。
 14世紀に出たこのドケチが、その技術に数学的お墨付きを与え、倫理的軛から科学技術を解放したんだとしても。
 悪魔を解放して、原野に放った。





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最終更新日  2023年02月26日 16時21分54秒
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