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カテゴリ:哲学研究室
プラグマチズムとは、あっさりいうと、タ・プラグマータ主義ということである。
古代ヘラス語に由来する用語を使った主義主張。 モノにモノの心として関わる共有絶対思想宗教の教義だ、ということ。 すべてが実際的なものとなるように、心をも構えさせる。 したがって必ず形而上学的な神学、心理学、宇宙論のカルトであって。 宗教がモト。 それゆえに哲学ではないのである。 やはりキリスト教カルトたちの宗教思想であって。 特にプロテスタント特有の考え方、なんである。 共有の、モノとしての関与からのみ、すべての出来事を考えていく、宗教的生き方の主義主張。 米国で起きた、この運動に対し。 多くの哲学徒が参加し、関わったのは事実である。 そしてその思想が、虚無主義の覆う大陸とは別個に、新大陸で大きな思想のうねりとなり、科学技術とは異なるテクノロジーをも生む、新手の潮流となっていったのも事実。 実際に現代の米国の思想家に尋ねれば、「これはオラたちの作り上げた共有哲学だ」、というに違いない。 つまりソクラテスの始めた「無知の知」という既存哲学に対し。 デカルトが曖昧に形而上学使って哲学を中興させたが。 それとは全く異なる哲学概念だと、ウソを堂々と主張するのだ。 それがプラグマチズム<哲学>という名の思想。 <哲学>の部分だけは、共有教義なので。 哲学じゃなくて、ウソなのである。 その思想はしかし、ウソじゃない。 本当にある思想だし、極めて有効に働いている。 オイラは、哲学というのは<享有者が関わる無知の知>と思い込んでいるので。 だから共有思想だけのこれは、絶対に哲学ではないんだが。 現代の選ばれし思想になっちょるし。 どこが哲学と違うのかを明確にするためにも、あえて哲学史に項目を設けた。 そして、プラグマチズムがどのような宗教で、どのような政治経済を持ち、どのような道徳や倫理を持つのかも、見ていきたいわけだ。 そもそもタ・プラグマータ主義の宗教教義とはナニなのか。 彼らに尋ねても、じつはハッキリせんのである。 思想運動や、技術との関係、宗教とのかかわり、新哲学だという掛け声がでてくるばかりで。 プラグマチズムの思想そのものが、まったく見えてこない。 主義主張の信仰カルトなので、参加しないと中身は見えない。 しかも既存の形而上学とも、若干異なるようだ。 (大陸の形而上学も哲学じゃおまへんよ) じつは「成立の歴史を反映して、プラグマティズムについての見解は主要な提唱者の間でも正確に一致しない」そうだ。 集団の意思統一が取れてないのに共有形式枠尋ねられても・・・ということらしいが。 案外、<うふぉの形式を持たない、という特徴がある>のかもしれん、のである。 哲学だというんなら、そりゃあきまへんでと、ハッキリ述べておく。 無知の知を、感性でできたものをのぞき込んでも、形式がなければ、そりゃあかん。 感動も何もない。 しかしこれが<先験的形式を持たない、人工の感性枠集団である可能性>は十分あるのだ。 これは主義主張するのに、自分の基礎も示せんわけで。 ほんまは、おかしいんであるが。 実は、米国やその文化圏のモノは、全部そうなのだ。 基礎が、ことごとくはっきりせん。 建国の父の組織ですら。 分子に明晰判明を要求するのに、その分母が、はっきり示せん。 我が国も、そうなりつつあるんやが。 「パース流のそれは論理面が重視されていたが、ジェイムズ流のそれは倫理面が重視されており、その後、デューイ、ミードによって心理面が重視されるようになったと分析することができる」とネットにあった。 まあ、端的に言って哲学がない、からそうなるんやけど。 学説の寄せ集めに見える。 実際には共有で仕立てた宗教教義。 米国の哲学である? 共有のもんやから、これは明確にウソ。 英国圏も絡んどるようだが、米英ものの、新興宗教カルトもの宗教教義。 非哲学で、宗教教義思想のほうで、まちがいおまへん。 宗教ではない哲学思想? もとは形而上学運動だったようだ。 だから哲学ではなく、何度も言うけど、宗教。 カトリシズムに反発するプロテスタント諸派のあつまった、宗教思想。 この、「宗教思想」ということを絶対に忘れんように。 赤信号みんなで渡る、特定カルトの宗教教義。 分母が見えんのですぐ見えんなる。 共通するものは? 実際的なモノと(のみ)関わることの重視の強制。 あいまいなもの、情緒的なもの、神話的なものとは関わらない。 もちろん共有絶対重視なんだが。 ポシティブであってもナチスなどとは、かなり異なる。 米国にはルター派やカルビン教徒がほとんどなので、実務的なのは当然なのであるが。 マイノリティは多いがカトリックは少数派で、あとはユダヤ教のエリートがいるばかり。 その、ユダヤ人というより、ユダヤ人崩れが多く関わるようだ。 西洋のユダヤ人崩れはナチスが多いが。 新大陸でのユダヤ人崩れはプラグマチストが多いんでは? みんな超賢いエリートたちだ。 但しサイコパスが多い。 最初に命題立てたのはパースのようである。 ただ彼は、プラグマチズムと自分のプラグマチシズムを区別するらしい。 彼がプラグマティシズムという用語を造語したのは、この用語が「誘拐犯たちから誘拐される心配がないくらい十分に醜いからだ」?という。 「概念はプラクティカルな効果によって試験されるべき」、としたのが最初のころで 真の科学は(実験によるのではなく)観察という方法に拠る、としている。 モトは科学技術の基礎理論探求だったのである。 科学の基礎に新理論を据えようとした、もとは形而上学研究だったのである、ということ。 彼らの言う科学とは、実用的に実務的かつ道具的に、共有の物事と関わる実践的神学的な主義主張のこと、である。 だからこのこと、科学技術の理論探求だったは、まちがいない パース自身に言わせると、「プラグマティシストとして、プラグマティシズムはヘーゲルの絶対的観念論と同系」である、そうな。 オイラも、そないなもんかもしれんナ、と思う。 道徳のモラルと、実務、実用、道具といった用語は、「実践」でくくられる。 それが上位概念だからだ。 しかし道具的にタ・プラグマータに関われば、そうすることで、関わる心の方も必ず道具化、具体化してくる。 こころと道具の関係の本質を、ぜんぜん見ようともしちょらんから、当然そうなる。 ミイラ取りがミイラになる、というやつ。 見るものとみられるものの、デカルト的関係のことだ。 デカルトの場合は哲学である。 これが、この連中には、ない。 感性的享有が、一切出てこれない。 プラクシスに提供された広大なウーシア世界は消えて。 道具や用具の、狭い労働範囲に押し込めれられてしまうのだ。 奴隷になる、と言っていい。 マルクスが人間疎外と言ってた、労働=価値部分のことだ。 だから奴隷解放と共有命題でうたっておきながら、現実の米国は奴隷社会なのである。 今のオイラたちに至っては、その社会に生殺権握られた、もっと地位の低い戦勝奴隷社会。 いや、分母がまったく見えとらんので、彼らにも支配者の自覚はないのかもしれん。 支配階級のユダヤ人は姿を隠しとるし。 姿隠しに利用されてるホワイト・アングロサクソン・プロテスタントも、その組織すら隠してるし。 パースが言う通り、「プラグマティシズムはヘーゲルの絶対的観念論と同系である」。 つまり、虚無に捕まったマトリクス社会の感性を引きずる、道具的共有理念信仰、なのである。 戦勝奴隷に道具的な用途が見つからなければ、首をはねるしかない。 彼らのボスは、奴隷の食い物にまで責任を持つファラオではない。 権威の象徴はしっかりと奪ってきてるが、実態は違う。 主人は唯一の、こわいこわい神なので。 平気で原爆投下も指示する、悪魔同然のやつらだ。 ちなみにオイラたちの種族も、モトは羅刹である。 つまり神との感性的なつながりを、彼らはカトリックのように聖書契約に求めず。 絶対的観念論=道具的な実際の現実、に求めているんである。 道具立て積極実施、それ以外の実際の現実くずれは魔女として火あぶり。 ナチスに、超似てくるのである。 ナチスとは極めて近い立場だろうが。 オイラにはナチスが、まだ、ましに思える。 ナチスは積極的信仰の立場を、羊の全体に強要する全体主義だが。 彼ら米国では、民主主義だと言って、国のしょっぱなから、分母実態をごまかしてきた魔術主義だからだ。 ナチスは、洗練されたレビ族がキリスト教徒に化けて、異教徒や中途半端な連中の収容と殺しを指導する。 積極的キリスト教徒という不可解な組織。 米国は、もっと粗野なサイコパスのサムおじさんがチェーンソーを振り回す。 新しい、分母のはっきりせん国。 チェーンソーが、逆に、サムおじさんを使ってるようにも見える。 首切り日常のヒエラルキー社会だからだが。 しかも魔女狩りグループとも同居だから怖い。 最近は、カトリック派とリベラル派(プロテスタント)に二分されてきてるが、ほんまに分母が見えん。 もちろんこの二派以外にも、あれこれいっぱいいるわけだが、そっちは少数派。 道具立て特権は、米国を飲み込んでて。 サムおじさんが特権者なのか、チェンソーが特権者なのか、もうわかんなくなってるし。 というのも、トップに人を据えるのも、見えてないプログラムシステム采配といずれなるんだし。 何よりも、すべてがカネ次第となるんで。 そのカネも交換契約用具、という、わけのわからんものなのである。 カネも電子化されるみたいだし。 ここまで評価できる、という確実な基礎がないままに、未来志向で動いてる。 カトリックが売る免罪符は見事無効にしたが。 カネの本位をどうするかで、超大金持ち内部で、モメてもいる。 契約も、その信義も地に落ちたので。 うろたえてゴアウルドというsfご主人様をも探す始末で。 社会の目、なんぞは、もともと米国人は持ってない。 基本が共有志向なんだが、先験的形式が導いてるわけじゃない。 構造が導いてるんだとひところ言われたが、これは大陸メインの話。 彼らは無知の前に自己反省しない。 カトリックは神に懺悔するために司祭者に懺悔するが プロテスタントには告解があるのみで、懺悔的反省は、なしやし。 専門家というタンナーたちの、利権グループ共和制だからなんだからなんだが。 仲間内でのだましが多すぎて、実態がわからんなってしまってる。 その点、我が国は、わかりやすい。 実権力者がいないので。 明治以降は、スタンフォードの先生によると、英国やオランダの陰謀に翻弄され。 今は麻薬密売業者や外国人が重層的に取り仕切る、米国奴属国家。 これを明確に認識させるためにスタンフォードから戻ってきたようだが。 生殺権握られて。 マスゴミ関係は、すべてヒエラルキー上位の韓国系になっちょるという念の入れよう。 首相呼びつけて再教育せい、言ってみたり? 国民の命や日赤で儲けてきた天皇家に権力がないのは、もともと太古からの擁立制度であるからだ。 日本建国の際、特定のグループが主導権を持ったのではなく。 ニップールを国名にせんとしたアラム系敗北者の集団が、生き延びるためにさらなる過去を尋ねて旅を重ね。 多数者の郷に入って、シュメール語による復古と大同団結を目指したからだろう。 それは、広大な領域にいる倭人グループをも取り込むこととなったが。 長いものに巻かれて、オイラたちは生き延びてきたんやが。 明治期に一神教の侵入を許してしまった。 貴族階級を中心に、まるで病原菌に化けた見えない電磁波のようにヤラレた。 今は、シュメール語による復古と大同団結をも忘れた連中が、国粋主義とか言って外国ロビー活動で儲けてるだけで、彼らにも実権はない。 現代の諸組織も、彼ら米国の言う実際的道具推進機関として立ったのだろうが。 今は、自分の根拠を切り刻み中の、マシ-ナリー・テクニークがご主人だ。 文字通り、ほぼ全員、首切りのモトを生むAI。 コイツも、次のご主人様としてお控え中だし。 話がそれてきたが。 要は一神教徒たちの利権争い、権力志向が神の名を借りて。 その中で、新大陸でタ・プラグマータ主義が浮かび上がってきて。 基礎の見えなくなった近代科学の基礎理論をも、すっかり飲み込んだ、ということ。 新大陸ではタ・プラグマータ主義を前面に出した牧師連中が力を持ち。 カリフォルニヤを切り取り、メキシコを切り取り、ハワイを切り取って。 カトリックに切り取られていた世界は、再びぐちゃぐちゃと再度切り取られていったのだが。 基礎とか分母とか、気にせずにやっていくうちに。 科学の基礎理論とか、その過去をすらも、気にしなくなった。 ネガチブを含む過去は、魔女として焼き捨てる、のは同じ。 ポシティブな、未来の企画予定だけを見るようになっていったってこと。 ハイデガー先生風に言うなら、存在の歴史がまた、ここで変わってしまった。 病気持ちの、アーベントラントの「ゲシック」ではなく。 未来志向の、新大陸風「アジェンダ」となっていったんだと思う。 アジェンダ(宗教的予定企画)は、米国風の企画ものである。 過去を見ない、現在と未来のみの、「存在の歴史」である。 まだ発病は見えてないが、未来に破滅する。 架空のスケジュールだからだ。 「会議 における検討課題、議題、議事日程。(公的機関の)スケジュール、行動計画、日程表。ラテン語 の「agenda」(「行動する」という意 …」などと紹介されるが。 これは奴隷に言うウソ。 実践をプラクシスに、用具的関係性のみで見た「宗教的予定企画実践」なのである。 牧師間だけのもの。 彼らの行動計画なのだが。 分母が見えてないままの、へんなモノ。 議題なのだが、倫理要請のみがあって、中身の具体道徳がないもの、をいうのだ。 道徳は、ルター派だけでなく、たぶんカルビン派もお嫌い。 議事日程はあって、目標日が決まっていても、評価基準すらない。 しかし倫理があるので、道徳など要らん、と思い込んじょるのである。 倫理がやっと出てきたので、次節で米国風倫理・道徳観、いやプラグマチズム風の倫理を騙ってみたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年08月27日 08時45分26秒
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