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カテゴリ:音楽
タイムスリップ! 若者たちがキラキラ輝いていた67年音楽シーンへGo!
東芝音楽工業よりリリースされたアナログ・シングル盤の「ジス・バッド・ガール」(文中敬称略) 第2弾! このシングル盤は、'68年4月1日にリリースされた、A面は、「長い髪の少女」、B面は、「ジス・バッド・ガール」が収録。 この「ジス・バット・ガール」は、ルイズ・ルイス・加部が創った名曲(作詞は、ケネス伊東)、チャートの第14位にランクされ19.2万枚のセールス。 ※後に、まだ誰もカヴァーしていません。 デイブ平尾~一人日記~は、←を。 ザ・ゴールデンカップスは、←を。→公式ページ ↑のトップ・ページには↓ 平尾さんは食道がんが発見され、療養中だった。通夜、告別式は平尾さんの遺志により近親者で執り行い、後日お別れの会を開く予定。 ザ・ゴールデン・カップスのリーダーデイヴ平尾さんが、かねてより食道がん療養中のところ11月10日午前8時14分永眠致しました。(享年63才)ここに生前のご厚誼を深謝し、謹んでご通知申しあげます。 ザ・ゴールデン・カップスは、←を。→こっちは、ボクのフリー・ページ デイヴ平尾(本名:平尾時宗)は、'45年11月17日に誕生。 ※詳細はボクのフリー・ページに 病院で食道がんの手術を受けて回復に向っていましたが、'08年11月10日午前8時14分に永久の眠りに旅立ってしまいました。 後、数日で64歳の誕生日を迎えるところでした。 また、今月28日には文京区のJCBホールで、THE GOLDEN CUPS単独のライブが行なわれる予定で、このライブで元気な姿で復帰する計画でしたが…… 享年63才 素敵なミュージシャンがまたひとり旅立ってしまいました(泪) こころからお悔やみを申し上げます。 ユー・チューブ→「ジス・バッド・ガール」←『水平線の彼方から』の音源映像です ※時間を置いて↓から入ってください 過日、投稿したTHE GOLDEN CUPSの楽曲です。全て、ステレオで聴けるようにしてあります。↓ 「OPENING~NAGAI KAMINO SHOUJO」 THE GOLDEN CUPS 「ITOSHI NO JIZABERU~HIWA MATA NOBORU」 THE GOLDEN CUPS 「GINIRO NO GURASU」 THE GOLDEN CUPS 「AISURU KIMI NI」 THE GOLDEN CUPS 「HONMOKU BURUUSU」 THE GOLDEN CUPS 「CHOU WA TOBANAI」 THE GOLDEN CUPS 「MOUICHIDO JINSEI O」 THE GOLDEN CUPS ザ・ゴールデンカップスのデイブ平尾さんが死去 「長い髪の少女」「愛する君に」などのヒットで知られるGS(グループ・サウンズ)「ザ・ゴールデンカップス」のリーダーでボーカル、デイブ平尾さん(本名・平尾時宗)が10日、死去したことがわかった。63歳だった。 ミッキー吉野が追悼…デイヴ平尾さん急死、まだ63歳 「長い髪の少女」などのヒットで知られるGSバンド「ザ・ゴールデン・カップス」のリーダーでボーカルのデイヴ平尾さん(本名・平尾時宗)が10日、食道がんのため死去した。63歳だった。平尾さんは先月下旬に手術を受け成功したが、容体が急変した。手術前日の様子をカップスのキーボード、ミッキー吉野(56)が、サンケイスポーツに語っている。 「時さん(平尾さんの愛称)は『痛くもかゆくもないし、何で手術するのかわかんないよ。不思議でしようがない』って文句言ってたぐらいで、すごく元気でした。本当にショックですよ」 平尾さんは、3週間ほど前に体調不良を訴え、先月20日に喉を切開するなど10時間超に及ぶ大手術を乗り切っていた。 亡くなった10日は午前6時ころまで元気だったが、看護師が7時に見回った際に意識がなかったという。人工呼吸などの処置がなされたが、兄弟が見守る中、息を引き取ったという。 霊安室で平尾さんに対面したミッキーは、「『ブー』と呼んでかわいがってくれた。リーダーでボーカルなのに、みんなに『歌え、歌え』と言って、必ず全員に歌わせる人だった。あんなリーダーはもう出ないと思う」と偲んだ。 もともとカップスは28日に東京・水道橋のJCBホールで公演する予定で、平尾さんは復帰を楽しみにしていたという。平尾さんの兄弟から「弟はハデ好きだったし、酒も好きだった。にぎやかにやってほしい」と頼まれたミッキー。メンバーのエディ藩(61)、ルイズルイス加部(60)、マモル・マヌー(59)らと話し合い、追悼公演として行うことを決めている。 東京の天気は、今日は朝から曇天で風も冷たく吹いて寒かった向寒の1日。 P.S.:『you tube』→『水平線の彼方から』へも、時間があれば訪問してください。 特別版の、この音楽千夜一夜物語は必死で本日書上げたものです。 バブルの頃の話だが、六本木でこのバンドの名前をつけた平尾さんがオーナーのライブ・ハウスに少なくても、20回ほど行っています。 気さくでいながらシャイで話好きの大酒呑み(いつも酔っぱらっていました)のミュージシャンでした。 片手に片時も話さず、焼酎割りのグラスを持ち、お客様の席を巡回して、ライブが始まると、マイクとグラスを持ち唄っていました。 このお店で3度ほど、ボクはバーボンを平尾さんは焼酎を呑みながら音楽談義をしたのが懐かしい…思いで…です。 平尾さん!てば…まだ、63才だょ~!早過ぎる旅立ちですょ! でも、 きっと、 今頃、 先に旅立った、 井上忠夫さん、鈴木ヒロミツさん、田中俊夫さん、そしてメンバーだったケネス伊東さん、アイ高野さんと再会し、バンドを結成するMEETINGをしているんでしょうね。 尚、 GAROのレコード紹介は、お休みします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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